500系登場により東武特急はどうなるか?

《はじめに》

2015年4月22日付で、東武鉄道より新型特急電車「500系」を2017年春に導入することが発表されました。
公式プレスリリース

主な特徴は以下の通り。
○前面貫通構造で分割併合に対応した3両固定編成(2M1T)
○永久磁石同期電動機(すなわち1C1M方式)、アクティブサスペンション搭載
○座席数は1編成で161席でシートピッチは1000mm
○個室については言及なし(恐らく設定なしのモノクラス3連)
○3両固定編成8編成導入
○川崎重工製

東武はこの形式を使って、広域ネットワークを活かした新たな特急列車の運転系統を作り出そうと模索しているようです。
今でこそ東急沿線に住んでおり、興味の中心がそちらに移りつつある私ですが、もともと東武沿線で育った私としては、これほど心躍るニュースはないものです。
そこで、この記事では、500系の投入により、既存の東武特急がどのように変わっていくか、なるべくデータに即して予想していきたいと思います。

《東武特急の歴史》

まず、東武特急のこれまでの歴史を整理してから予想に入ります。

○日光・鬼怒川方面

東武日光行きの「けごん」と、鬼怒川温泉行きの「きぬ」に加え、JR線と直通する「日光」(東武日光行き)「きぬがわ」(鬼怒川温泉行き)の4列車で運行されています。JR直通特急は新宿を起点とし、池袋、浦和、大宮と停車し、栗橋駅構内に存在する連絡線を介して東武日光線に直通します。臨時列車では八王子や品川、大船発の列車もあります。東武線内発着の特急は「きぬ」の一部が鬼怒川公園あるいは新藤原発着のほか、新栃木・春日部発着の「けごん」があります。

東京対日光の輸送については、かつて国鉄と東武は熾烈な競争を繰り広げていました。昭和50〜60年代にかけての温泉ブームの追い風を受けて日光への観光客は増加し、デラックスロマンスカー1720型を投入した東武は国鉄との争いに事実上勝利し、日光・鬼怒川方面への輸送における覇権を勝ち取ったのでした。

その後、バブル経済期の末期に100系「スペーシア」が投入されましたが、バブル経済の崩壊とモータリゼーションの進展、個人旅行の一般化や海外旅行の選択肢が増えたことによる、温泉旅館の需要低下といった要因が複合し、その後は輸送人員が右肩下がり。スキーブームや、野岩鉄道会津鬼怒川線との直通開始を受けて、これまで日光方面メインだった列車の構成を鬼怒川方面メインにシフトさせ、北千住や春日部を停車駅に追加することで利便性を向上させるも、輸送人員の減少を完全に食い止めることができませんでした。

そこで、東武の路線網が手薄な東京西部や、自社の路線でありながら本線系統と直接のつながりがない東武東上線系統からも乗客を取り込もうと、ついにかつてのライバルであったJRと手を組み現在に至ります。


100系のスペックを500系と比較すると
座席数は1編成(6両)で288席であり、500系を2編成連結して6両とした場合より減少します。
これは、100系にはコンパートメントカーとビュッフェカーが連結されているほか、シートピッチが1100mmとかなり広いためです。
駆動装置はGTO VVVFインバーターによる1C8Mのかご型誘導電動機によるもので、オールM方式です。
日光線の勾配でも難なく走れる超高出力で、設計最高速度は130km/hです。
編成全体の出力は500系より上かと思われますが、500系が搭載する永久磁石同期電動機は誘導電動機よりも力行時や回生制動時のエネルギー効率が高く、単純な比較はできません。

○伊勢崎線方面

特急「りょうもう」のみが設定されており、赤城行きを主体として、太田、館林折り返しのほか一部が伊勢崎や葛生まで運転されます。
日光・鬼怒川方面の特急が設定以降さまざまな変遷を経てきたのとは対照的に、伊勢崎線方面の特急は大きな変化は見られず安定的に推移しています。主要な乗客は群馬県の工業地帯への用務客で、それに加えて足利方面への観光客や群馬方面への帰省客、埼玉県北部や群馬県南部の長距離通勤客なども想定されています。

日光線系統からのお下がりで運転されており愛称も整理されていなかった初期は、上毛電鉄に直通して中央前橋まで運転されるような列車があったりもしますが、1800系電車に統一され、急行「りょうもう」となってからは好調に拡大していき、4両から6両への増結、200系電車への統一と特急格上げを経て現在に至ります。

使用されている電車は200系と250系です。

200系は1720型の主電動機と台車を流用し製造されたもので、伝統的な直巻電動機に界磁添加励磁制御を組み合わせて回生制動を可能にしたものです。小出力モーターによるオールM方式で、伊勢崎線特急のスピードアップに寄与しています。250系は30000系と同一の走行システムを持つ完全新製車で、IGBT VVVFインバーターによる3M3T方式という東武では一般的な機器構成です。500系が「りょうもう」のダイヤを走れないということはなさそうです。

座席定員は1編成(6両)で404席で、500系2編成よりも多いです。シートピッチが985mmとやや切り詰められており、客用扉を省略して座席を詰め込んでいる車両(200/250-3形)があることが理由です。

○その他

かつての快速急行からの流れを汲んでいる特急「きりふり」「ゆのさと」「しもつけ」という列車があります。

「きりふり」はもともと東武日光行きでしたが、現在定期運用として存在するのは春日部行きおよび南栗橋行きのホームライナーで、東武日光行きは臨時列車としての設定のみです。

「ゆのさと」は鬼怒川温泉行きですが、現在は時刻表に載っている列車が存在せず、季節列車としてのみ運転されています。

「しもつけ」は東武宇都宮行きで、朝に浅草に上り、夜に宇都宮へ下る1往復の設定になっています。
東武宇都宮駅がJRの宇都宮駅よりも市の中心部に近いこと、JRと比べて運賃が低廉なこと、工場の多い壬生町を経由することから、用務客に一定の需要があるようです。

他に、会津田島まで運転される「南会津」という列車も存在しましたが、現在は「AIZUマウントエクスプレス」が鬼怒川温泉や東武日光まで直通し「スペーシア」と連絡することでこれに代わられています。

これらに使用される電車は300・350系で、かつて「りょうもう」に使用されていた1800系から、経年の浅い4編成を選び、6両編成2本(300系)、4両編成3本(350系)としたものです。4両編成が製作されたのは、野岩鉄道と会津鉄道、東武宇都宮線に6両編成が入線できないためです。定期の「きりふり」が300系で運用され、「しもつけ」は350系で運用されます。臨時の「きりふり」「ゆのさと」は350系での運転です。

100系と同時期に登場した車両で、かつては急行列車として運転されていました(その後、種別再編時に特急に昇格したものの、特急料金の額は据え置かれている)。日光・鬼怒川方面の特急の需要が減少し、特急の停車駅が増えていくことで実質的に特急との差が小さくなってしまい「きりふり」と「ゆのさと」の定期運転は廃止されました。

走行機器は8000系をベースにした抵抗制御で、日光線の勾配に対応するべく電動車比率を上げて発電ブレーキと抑速ブレーキを追加したもの。これであれば500系のほうがはるかに高性能です。

座席数は300系1編成(6両)で408席、350系1編成(4両)で268席と、500系よりは定員が多くなっています。

このほか、かつて存在したものとして、野田線の大宮駅から運転される急行「きりふり」(東武日光行き)「りゅうおう」(鬼怒川温泉行き)が5700系により運転されていました。1970年からの2年間という短期間の設定であったのは、恐らく野田線の設備の貧弱さや、大宮からであったら国鉄を利用したほうが有利であったことが理由ではないかと思われます。
現在は、「日光」と「きぬがわ」が大宮に停車するため、東武としては野田線経由での鬼怒川方面への特急を新たに設定するメリットは薄いでしょう。

また、6050系を改造した展望列車634型による「スカイツリートレイン」という列車もあり、太田、大宮、鬼怒川温泉、東武日光の各所を発着する列車が設定されています。

《運行本数と編成本数》

きぬ:上り16本 下り14本
けごん:上り3本 下り6本
りょうもう:26往復
しもつけ:1往復
きりふり:春日部行き下り1本、南栗橋行き下り1本(平日のみ)
スカイツリートレイン:太田発上り1本、大宮発上り1本、鬼怒川温泉発着1往復、東武日光発上り1本、新栃木行き下り1本

※JR直通特急は500系で置き換えられる可能性は皆無と考えここでは除外しています。

100系:6両編成9本
200・250系:6両編成10本
300・350系:6両編成2本、4両編成3本
634型:2両編成2本

《500系運用予想》

さて、これで必要なデータが揃いましたので、具体的な運用の予想をしていきます。
まず、車内設備および運行本数から考えて、「りょうもう」に投入されることはほぼないと思われます。
列車の性格はJRでいうところの「ひたち」や「あずさ」に近く、実用性本位の設計が求められるためです。
「りょうもう」は恐らく経済性と実用性に特化した汎用特急としての新型、600系が製造されて置き換えられることでしょう(恐らく60000系と共通の走行機器を搭載した、日立製作所製の新車。)

また、100系と500系とでは車内設備に格差があることから、100系は500系登場後もしばらくは運用され続けるものと思われます。ただ、VVVFインバータ装置がかなりの旧型で、機器更新が近いうち必要になると考えられます。

一方で300系は、種車から通算すると経年が40年ほどに達しており、エネルギー効率が悪い抵抗制御であることから、長距離の運用からは撤退するものと考えられます。

634型も、6050系の改造車であることから走行機器は経年50年ほど、車体も20年以上が経過しており、定期運用を持たせるような使い方は恐らくしないはずです。

以上のことから、500系は既存の特急網の主要列車を置き換えるのではなく、隙間を埋めていくような運用のされ方がされるのではないかと推測されます。

次に、既存のダイヤをベースに、500系で置き換えられそうな列車を考えてみました。以下の通りです。

きぬ106号・108号:下今市で特急連絡と接続して東武日光方面へ連絡しているのを、「きぬ・けごん」併結として置き換え
けごん2号・204号:2号が春日部発で204号が新栃木発
スカイツリートレイン:500系に置き換えて定期運用化
しもつけ:栃木まで「けごん」あるいは「きぬ」と併結の多層建てとする

きぬ106号・108号は、下今市発の特急連絡列車が100系で運用されていることから、これをまとめてしまえば効率化が図れます。けごん2号・204号は朝の上りの着席定員増加を見込んでの予想ですが、前者と比べると決め手が弱いです。
このどちらかを500系に置き換えれば、100系の運用が最低2運用空くこととなります。また500系は4編成充当です。

また、「けごん・きぬ」と「しもつけ」の多層建て列車とスカイツリートレインに相当する新しい特急は1運用で全て賄える程度になると予想されます。これで2編成充当となり、予備車に2編成、とすれば順当なところではないかと。
上り「しもつけ282号」は「きぬ110号」と統合するか、区間快速44列車を新栃木で分断して以南を特急に格上げした扱いとして統合とし、下り「しもつけ281号」は「きぬ131号」との統合になるでしょう。

具体的な運用パターンとしては、まず、「しもつけ・きぬ」の併結で朝に浅草に上ってきた500系を浅草で一旦分割し、回送で大宮と鬼怒川温泉に送り込みます。鬼怒川温泉行きは繁忙期は客扱いを行う臨時列車として扱い、大宮への送り込みは業平橋で時間調整を行います。その折り返しとして、スカイツリートレイン4号・6号に相当する、大宮と鬼怒川温泉からそれぞれ出た特急を春日部で併合する列車を走らせ、浅草で折り返して次は鬼怒川温泉と東武日光へ。その後浅草に戻ってきてから東武宇都宮行きと鬼怒川温泉行き、とすれば時間的にもつじつまが合います。

太田発のスカイツリートレインはそのまま634型での運行を続行、「きりふり」はホームライナー的側面が強いためそのまま300系での運行を続行、となると予想しています。634型や300・350系は団体輸送で力を発揮するでしょうし、特に634型は新藤原より先の野岩鉄道線にも入ろうと思えば入れるはずなので、走行機器自体は旧式でもまだまだ生き残ると思われます。

そして、100系の運用が空くことになるため、順次走行機器と内装の更新工事に着手するのではないかと予想しています。100系は現在でも十分な水準の車内設備を備えているため、これが大規模リニューアルとなれば、新車とも比肩できるレベルの設備となることでしょう。ただ、座席モケットや壁紙の張り替えは2012年にすでに実施されているため、内装の更新はビュッフェコーナーや個室の改装、トイレのバリアフリー対応化くらいの更新にとどまるのではないかと考えています。

そして9編成全ての更新が完了したら、臨時特急まで含めて100系と500系で賄えるようになるため、臨時快速は350系での運転となるかそもそも設定自体がなくなり、1819編成は用途廃止により廃車、となりそうです。1819編成は勾配を走るには難があるため、東武としても日光方面への入線は極力避けたいはずです。

《まとめ》

結論として、500系の投入により300系列の運用がさらに空き、1819編成や6050系の運用にも余裕ができる、ということになりそうです。

また、一時的に300系列を保持しながら100系のリニューアルを行う余裕ができるため、100系の機器更新が行われる可能性は濃厚です。

特急型でありながら派手さに欠ける形式が登場しましたが、効率化を図ることがより重要と考えたのでしょう。634型も長く使うとは思えないので、次は新しい展望車がほしいところですね。

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上野東京ライン、ダイヤ概要発表!

というわけで2015年3月14日に開業する上野東京ラインのダイヤ概要がついに発表されました。
上野と東京の間に列車線を復活させる、という、距離でいうと大した長さでもないこの路線ですが、首都圏の鉄道ネットワークを劇的に変える画期的な計画であり、沿線住民からの期待も高まっていることは皆様ご存じのとおり。

同時に常磐線の特急に関する発表もありましたが、通勤電車を研究対象としている私は、上野東京ラインに絡んだ車両転配やそれによる関連線区への影響なんかを、噂や不確定な情報なんかもおりまぜつつまとめて行こうかと思います。


《ダイヤ概要》

公式サイトのプレスリリースから引用。

・宇都宮線及び高崎線は東海道線と相互直通運転を実施します。
・常磐線は品川駅まで直通運転を実施します。
(※常磐線は朝通勤ピーク時間帯から(東京駅概ね 8:00 以降)の直通運転となります)
・朝通勤ピーク時間帯(東京駅概ね 8:00〜9:00)の直通本数は
宇都宮線5本、高崎線5本、常磐線5本とします。
(※各線区から東京・品川方面への南行列車本数)
(※常磐線は朝通勤ピーク時間帯では、取手以南運転の快速上り電車のみの直通運転となります)

・常磐線特急列車はデータイムの全ての列車及び夕夜間帯の一部
列車を品川駅発着とします。
・常磐線普通列車はデータイムでは土浦方面からの一部列車を、
夕夜間帯では取手以南運転の快速電車を品川駅発着とします。


《常磐線》

上記を踏まえてまずは常磐線から見ていきます。

まず、朝ラッシュ時は常磐線上り列車のみが品川に直通、ということですが、これはパキラさんのご指摘通り、上野での東京方での平面交差を避けるための措置と考えるのが妥当です。
これにより、田町で夕方まで昼寝する編成が何本か発生するはずなので、それによる常磐線の所要本数増加が予想されます。
それが、E531系の追加新造と、東京車両センターのE231系500番台の三鷹車両センターへの転用につながります。
上記ソースである国電総研によれば、三鷹車両センターから松戸車両センターへ2編成が転属とのこと。さらに新造したE531系を使って快速の運用の一部を中電に振り替えることで快速用のE231系は合計3編成増という計算になります。品川から常磐線方面へ向かう場合は、尾久を経由しての経路になるはずなので、折り返しにかかる時間が増えることをも想定されますので、恐らくは田町滞泊運用を2運用設定、折り返し時間の増加に伴う運用数増で1運用増、といったところかな、と。
三鷹車両センターからは6ドア車を抜いての供出となるため、3編成から2編成作ることになり短編成が余ります。
恐らく松戸車両センターの付属編成としてそのまま使うことになるのではないかと予想してます。

《湘南新宿ラインとの関係》

高崎・宇都宮線は東海道本線と相互直通するということから、これで高崎・宇都宮線からの品川折り返しはほぼゼロ、と予想できます。
湘南新宿ラインには定期列車では存在しない熱海行きも出てくると思います。
各所で指摘されている通り、高崎・宇都宮線と東海道本線ではダイヤパターンの不整合や本数の不均衡がありますので、その本数の差は、上野の低いホームで高崎・宇都宮線の列車の一部を折り返させることで吸収するものと思われます。

また、湘南新宿ラインの南北直通路線としての役割が軽減されますので、湘南新宿ラインの高崎線〜東海道本線系統は減便になり、その分を横須賀線列車に転嫁するものと思われます。ここで、国府津に1編成のみ在籍しているE217系が鎌倉へ出戻りになる、と予想できるでしょう。

また、原則スルー運転とすることで、東海道本線列車の田町滞泊が減るはずなので、先ほどの常磐線列車の田町滞泊設定とも符合します。

《種別》

高崎・宇都宮線と東海道本線とで相互直通があるとなると、種別がどうなるのかは気になるところ。
既存の快速についている愛称「ラビット」「アーバン」「アクティー」は整理されそうな気がしますし、これを機に湘南新宿ライン快速(横須賀線との共用区間のみ東海道線と停車駅を揃えるため通過駅が発生する名ばかりのやつ)や特別快速(湘南新宿ライン区間内では恵比寿通過のみ)も含めて整理してもらえると利用者としてはありがたいです。

湘南新宿ラインは高崎線からも宇都宮線からも横須賀線直通として大船行きや逗子行きに設定したほうが、棲み分けが明確となるし、名ばかりの快速の設定も不要になります。

私鉄では境界駅での種別変更はわりとよくありますが、湘南新宿ラインの特別快速が高崎線内でも東海道本線内でも快速運転を行うことから、上野東京ラインでも、高崎線や宇都宮線から快速で来た列車は東海道本線内でも快速運転されると考える方が妥当です。というわけで、愛称は無くなる可能性が高いだろう、と予想できるのです。

問題は通勤快速。東海道本線では下りのみの設定、高崎・宇都宮線は上下設定となっているため、不均衡が生じます。これは、高崎・宇都宮線下り通勤快速は上野発着とするか、東海道本線に上り通勤快速を設定するかのどちらかで解決するか、ってことになるのでしょう。東海道本線通勤快速の品川〜横浜間無停車、高崎線通勤快速の尾久停車、大宮〜鴻巣間無停車、宇都宮線通勤快速の尾久停車、大宮〜久喜間無停車というパターンには一定の需要があると思うので、何かしらの形で残ることになるとは思いますが。

《まとめ》

というわけで、いよいよ概要が発表され、詳細なダイヤを予想する段階までやってきました。
東京直通だけでなく、品川や川崎といった湘南新宿ラインが経由しなかった駅からも埼玉や北関東へ直通できるようになる、というのは大きなインパクトになるでしょう。
東急池上線沿線住民で五反田駅をよく利用する私としては、埼玉方面から帰ってくるときに、湘南新宿ライン特別快速の恵比寿通過や、埼京線の新宿止まりには結構悩まされていましたがw(新宿も渋谷も山手線への乗り換えの便が非常に悪いので、その場合は池袋で乗り換えるのが最速になる)、上野東京ライン開業後は、品川までまっすぐ行けるようになると、埼玉方面へのアクセスが非常によくなるので嬉しい限りです。

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at 22:05, Long, 鉄道(総合)

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185系を語る

2014年3月15日のダイヤ改正で、高崎線系統の定期運用をほとんど失ってしまった185系。
国鉄の特急電車のなかでもとりわけ地味な形式で、かつ特殊な形式であったためか、国鉄民営化以後改造や塗装変更こそ行われたものの、ほんの数年前までほとんど動きがないままという点でひそかな注目を浴びていましたが、上野東京ライン(東北縦貫線)の開業を前にしていよいよこの形式にも大きな変化が見られるようになってきました。

この記事では、そんな185系のこれまでの歴史を振り返りつつ、新幹線開業により在来線の特急電車がどのような影響を受けたのか、時代とともにどのように変化してきたのかを概観してみたいと思います。

《通勤通学輸送にも対応した特急型電車を製造せよ》

昭和50年代も終盤になると、東海道新幹線ならびに東北・上越新幹線に並行する在来線である東海道本線と東北本線・高崎線は、長距離都市間輸送の役割を新幹線に譲り、中近距離の通勤通学輸送ならびに近郊都市間輸送中心にシフトしつつありました。
新幹線開業以前は、特急列車といえば長距離輸送に特化していたため、全席指定席があたりまえで、たとえ大きな駅が連続しようと連続停車をしてはならない、といった暗黙の了解まであるほどの、いわば真の意味での特別急行でした。その一方一般大衆の足となっていたのは急行列車でした。急行列車は自由席を連結し、比較的停車駅も多く、中距離の輸送にもある程度対応していました。

ところが、新幹線開業以前の特急列車が担っていた役割が新幹線に移ったことによって、特急列車が大衆化。それに伴い急行列車は大幅に削減され、特急料金がA特急料金とB特急料金の別建てとなり、自由席を連結しダイヤもわかりやすくした「エル特急」という列車が登場しました。

この流れを受けて、急行から特急への格上げや、経路が重複する特急との整理統合が行われていったのですが、これを受けて1981年に登場したのが185系です。
東海道本線を走っていた急行「伊豆」と特急「あまぎ」を整理統合し特急に一本化することとなったのですが、「伊豆」に使われていた153系という急行型電車が、間合い運用で東海道線普通電車にも使用されていたため、「通勤通学輸送にも対応した特急型電車」という無理難題をクリアするための車両が必要となったのです。

こうして生まれた185系は、デッキつき、転換クロスシート、片開き客用扉2箇所設置、という急行型電車の座席を特急型電車に少し近づけたような仕様となりました。「伊豆」の153系の185系への置き換えが完了すると「伊豆」は特急「踊り子」に格上げとなり、特急「あまぎ」は「踊り子」と統合されました。当時の鉄道ファンからは、京阪神の新快速に117系という185系とさほど変わらない仕様の電車が使用されていて、しかも特別料金を徴収していなかったため、それなりの批判があったようですが、車両のグレードも大して変わらないまま急行が特急に格上げされてしまい実質的な値上げとなった一般の利用者からも結構な批判を浴びたようです。

しかし、当時の国鉄としては非常に斬新なカラーリングは大きな話題となり、国鉄がこの車両に賭けた思いがうかがえます。


1992年、東京駅で撮影。現在リバイバルカラーとして走っている斜めストライプのオリジナルカラー。

《新幹線リレー号と新特急》

1982年の東北新幹線の大宮先行開業時、大宮から上野までの橋渡しをするための列車を走らせることになり、185系がそれに投入されました。
東海道本線に投入されていた車両に耐寒耐雪装備を追加したため200番台に区分され、塗装も腰板部に緑のラインを巻いた比較的スタンダードなものとなりました。
このような暫定的な列車に国鉄が新型車両を投入するのは非常に珍しいのですが、これは、大宮乗り換えが発生することによる不便さを少しでも和らげるため、という意図以上に、東北新幹線上野開業後、東北・上越線系統の急行列車を整理するための車両として使用したい意図がありました。

高崎線系統の急行「あかぎ」「谷川」「草津」、東北本線系統の急行「なすの」を185系に置き換え、「新特急」という名称の特急に格上げしました。
新特急とはエル特急とは異なる概念で、通常の特急とは別建ての安い特急料金を適用し、さらに定期乗車券での利用を認めるなど、通勤通学輸送も考慮したものとなりました。「踊り子」がリゾート特急であったのに対して、「あかぎ」「谷川」「草津」「なすの」は北関東の主要都市と東京を結ぶビジネス用途がメインであったことによる性格の違いがここに現れたともいえます。


1991年、宮原〜大宮間で撮影。185系新前橋車のオリジナルカラー。

《コンセプトの早速の頓挫》

ところが、東海道本線での普通列車運用は、客用扉の少なさによる混雑のため遅延が常態化してしまい、ダイヤ改正のたびに数を減らしていくこととなります。
また、急行から特急への格上げも批判が多かったようで、運行開始当初は9往復もあった「なすの」が運行開始からわずか3年で4往復が快速に格下げとなりました。
このように、国鉄の思い描いたコンセプトは思い通りにいかないまま、1987年に民営化を迎えます。

《ホームライナー》

一方で、この流れとは別に「ホームライナー」と呼ばれる列車が昭和50年代の国鉄で登場しました。
夜に特急として都心にやってきた電車を郊外の車両基地に回送する際、そのまま走らせてはもったいないということで、座席定員制で客扱いを開始したのが始まりです。
具体的には、上野から東大宮の車両基地まで回送する特急電車を「ホームライナー大宮」として上野〜大宮間で客扱いをしたことが最初です。

その後、ホームライナーは、専用の車両を用意しなくてはならないほどの人気となり、185系の「通勤通学輸送にも対応できる」特性がここで活きることになりました。
東海道本線の普通列車運用は、順次「湘南ライナー」や「湘南新宿ライナー(現在の湘南新宿ラインとは全く無関係)」へと転換されていき、また、高崎・宇都宮線系統でも「ホームライナー鴻巣」や「ホームライナー古河」の一部に使用されるようになりました。

《内装のグレードアップと普通列車からの完全撤退、特急運用の削減》

批判を浴びた内装設備も、2000年までにはリクライニングシートへの交換が全車両で完了し、特急型にふさわしい設備になりました。
それに伴い塗装も変更され、現在のブロック塗装となりました。
その一方で、普通列車運用は削減の一途をたどり、高崎・宇都宮線系統では、普通列車にグリーン車が連結されるようになった2004年10月改正で消滅、最後に残った東海道線の521Mも2013年3月改正で消滅しています。
また、本務である特急運用も削減され始め、2010年12月改正で「水上」(「谷川」が新幹線に愛称を譲ったことにより誕生した列車)が臨時化、「とちぎ」(「なすの」が新幹線に愛称を譲ったことにより誕生した列車)が廃止、「あかぎ」「草津」「踊り子」の減便と、大きな縮小がありました。

着席通勤の需要はホームライナーだけで事足りていること、近郊型電車も4ドア化しなくてはいけないほど通勤ラッシュが激しいこと、グリーン車が東海道本線・横須賀線だけでなく高崎線・宇都宮線に導入されて以降、高崎線系統の特急において一部区間で指定席特急料金がグリーン車料金より安いという逆転現象が発生してしまっていること、高崎線については上越新幹線の「たにがわ」との棲み分けの関係、ひいてはマイカーとの競争、といった複合的な要因が重なり、特急列車用としても普通列車用としてもどうにも中途半端なこの形式は、徐々にだぶつきはじめます。


2004年、大宮駅で撮影。高崎線の185系普通列車。新前橋から上野への車両送り込みを兼ねていたが、185系の所属区が高崎から大宮に変更されたことによって消滅。


2004年、上野駅で撮影。特急「水上」は経路が上越新幹線と完全に並行しており、主要ターゲットとしていた登山客や帰省客は、自家用車や新幹線にほぼ転移していたとみられる。


2006年、大宮駅で撮影。特急「とちぎ」は1往復のみの設定で、朝の上りは「おはようとちぎ」、夜の下りは「ホームタウンとちぎ」という列車愛称だった。「なすの」の新宿発着便の時代から伝統的に田町車両センター(旧:田町電車区)の185系で運用されていた。湘南新宿ラインの増発に伴い廃止されたため、実質的に格下げとも言える。

《田町車両センターの廃止と651系1000番台の登場》

2013年3月改正で田町車両センターが廃止され(書類の組織上の話)、田町所属車は全て大宮車両センターへ転属。それにより元々の大宮所属車と、田町からの転入車が区別なく使用されるようになりました。
これにより運用に余裕ができたのか、グリーン車を廃車にしモノクラスの短編成に組み替えられた編成が登場(ちなみにこれが185系で初の廃車となりました)。各地の波動輸送用183系を置き換えるようになり、団体専用列車や「ムーンライトながら」に使用される185系が見られるようになりました。


2013年、恵比寿駅で撮影(トリミング済み)。修学旅行輸送に使用されるモノクラス8連の185系が湘南新宿ラインを走る。

また、2014年3月の改正では、常磐線の特急として使用されていた651系が、電源の直流への固定、制御装置の更新といった改造を受け1000番台となり、「あかぎ」と「草津」の185系を置き換え、「スワローあかぎ」という全席指定制の新しい列車が誕生しました。また、ホームライナーが全て廃止となり、「ホームライナー鴻巣」が担っていた需要は本庄行きの「スワローあかぎ」が引き受けることとなりました。
これにより、高崎線系統の185系の運用は新宿発着の「あかぎ」「スワローあかぎ」のみとなってしまいました。

「スワローあかぎ」のスワローサービスは、指定席特急券より安く、座席指定を受けなくても乗車でき空席を利用できる代わりに、乗車前の事前購入のみとなっています。また、チケットレススワロー料金券と、紙のスワロー料金券と、通常の指定席特急券の三つの料金が混在する上に、料金も上野・新宿から鴻巣までの各駅でスワロー料金券750円と、よく似た性格を持つ特急「りょうもう」の北千住〜久喜間の500円、北千住〜加須・羽生間の750円と比較してもやや高額と言わざるを得ません(「りょうもう」は座席が空いていれば車内で購入することも可能で、閑散時間帯はこれよりも安い)。

どうもこのスワローサービス、制度がいまいちわかりにくく利便性も低いので、えきねっとチケットレスサービスの会員になるか、さもなくば新幹線でも使ってろ、とでも言いたげなJR東日本の意図が透けて見えるのです。
車両も新しくなったとはいえ、常磐線のお古です。120km/h走行が可能になったといっても短縮できる時間は1、2分で、通常の特急料金は新幹線よりちょっと安い程度のこの列車にそこまでの価値があるとは到底思えません。これなら埼玉県内の利用であっても熊谷や本庄早稲田まで新幹線を利用することも選択肢に入れたほうがよいでしょう。

所用があって前橋に向かうとき、何となく気が向いたので、上野から高崎まで「草津」を利用してみたことがありました。
上尾、桶川などに停車するため所要時間が長く、内装も決して良いとは言えず、特急料金は自由席でも1300円。これでは利用者は増えないだろうな、と感じたのでした。
ここでJRが取るべき策は値下げではないかと思うのですが、そうすると普通グリーン車との整合性が取れないし新幹線の客を奪ってしまうので、着席サービスの向上を言い訳に値上げに踏み切ったのでしょう。
つまりは、これまで「あかぎ」の自由席を使っていた層は普通グリーン車へ誘導し、ホームライナーを使っていた層はスワローサービスへ誘導し、「草津」の指定席を買って高崎以南の駅を利用していた層については新幹線へ誘導、といった感じでしょうか。いずれにせよ、185系のオールマイティな反面の中途半端さが、ついに自分の活躍の場を狭めてしまった、というように思えます。

《まとめ》

少子高齢化が進むこの国で、鉄道利用者は今後減少していくことは間違いありません。
時代の要請があって誕生した「特急から普通列車まで対応可能な新形式」は、在来線特急の需要の減少と、通勤距離が伸びていくことに伴う通勤輸送の激化が重なり、製造されてから数年で「それぞれの用途に合わせて専用の形式を作ったほうが効率の良い時代」に突入してしまい、早くもコンセプトが揺らぎます。

その後、ホームライナーや新幹線の間を埋める近距離特急に活路を見出すも、快速列車への変更や格下げ、新幹線にも中近距離の利用を意識した列車が登場するなどの事情の変化によりこの用途からも外されるようになり、波動輸送への転用も始まっています。

今の185系を見ていると、私が物心ついた頃に高崎線などを臨時列車で走っていた晩年の165系と重なるものがあり、やはり歴史は繰り返すということなのでしょう。

もし、185系の製造を計画していた国鉄が、「特急から普通列車まで対応可能な新形式」などという悪く言えば「けち臭い」ものを作らずに、183系ばりの特急電車を新造し、「伊豆」を正統な特急として格上げし、普通列車は113系の新造のみで賄ったとしたら、恐らくもうちょっと別の歴史があったのではないかと思いますが、当時の国鉄の財政状況を考えるとそういうわけにもいかなかったのかな、とも思います。

どうも調べれば調べるほど、書けば書くほど悪いところが出てきてしまういまいちパッとしない185系ですが、それでも沿線住民に長く親しまれた形式であることは事実です。気軽に乗れる特急として、利用した思い出のある高崎・宇都宮線沿線住民の方は多いでしょうし、「踊り子」で伊豆を旅行した人もたくさんいることでしょう。「踊り子」についても、中央線特急へのE353系投入に伴いねん出されるE257系の転入により、この先数年以内に置き換えられる予定となっているため、定期運用を完全に失ってしまうのもそう遠い未来ではなくなってしまいました。
派手な活躍はなくとも、かつての急行列車のコンセプトを引き継いで、利用者に身近な特急であり続けた185系の功績はもっと評価されてもいいと思っています。


2012年、赤羽駅で撮影。かつて特急「あまぎ」で使用されていた157系のカラーリングを模したリバイバルカラー編成。157系が185系とは真逆の「特急型並みの設備を持った準急型電車」として登場したことを考えると、このカラーリングはちょっと皮肉ともとれる。このほかには、80系を模した湘南色、オリジナルのストライプカラーのリバイバル編成も登場している。

at 16:30, Long, 鉄道(総合)

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埼京・川越線を語る

《まえがき》

先日埼京・川越線の205系とE233系7000番台を撮影しに川越まで行ってきました。
最初は普通に撮影記録として記事を書こうかと思ったんですけど、それじゃあまり面白くないな、と思ったので、今回は、埼京・川越線の歴史についてまとめてみようと思います。

私の生まれは埼玉県大宮市、現在のさいたま市北区にあたる川越線の沿線。ということでもうお分かりでしょうが最寄駅は日進駅でした。生年の1987年から1991年まで住んでいましたので、103系から205系へ車両が置き換えられてゆき、沿線で宅地開発が始まったころに住んでいたことになります。いわゆる「鉄道好きの子供」だった私にとって、わずかに覚えている生まれた土地の記憶の半分くらいは、親に連れられて近所の踏切まで電車を見に行っていたこと。そんなわけで、川越線と埼京線は、個人的に非常に思い入れの深い路線で、私の鉄道趣味の原点と言ってもいいほどです。

南古谷での撮影を終えた後、かつて親に連れられて毎日のように電車を見に行っていた踏切に、実に22年ぶりに行ってみたのですが、変わりすぎていて呆然としました。
国土交通省の「国土情報ウェブマッピングシステム」から引っ張ってきた1990年当時の日進町周辺の航空写真と、Google Earthから引っ張ってきた2007年の航空写真を並べてみました。


現在ファミリーマート日進二丁目店がそばにある日進第一踏切が、私の思い出の踏切です。ファミリーマートの場所は1990年当時は畑で、踏切を渡った先の駐車場は1990年当時は雑木林でした。当然ながら、私の記憶にあるのは1990年当時の風景ですので、今の風景はもはや別の場所としか感じられませんでした。

ちなみに、佐川急便のある場所も1990年当時はだだっ広い田畑でした。鴨川のほとりからは、身長の低い子供の私でも遠くを走る埼京線の電車がよく見えたのを覚えています。そこにも行ってみましたが、今の私の身長でも埼京線の電車を見るのはかなり難しい状況でした(ちらっと見えるくらい)。

ここまで川越線の沿線風景を変えてしまった要因は、当然ですが埼京線の開業です。埼京線の開業は、埼京線以外の路線にも深く影響を与えた大きな出来事だったのです。
今回は、埼京・川越線の車両の変遷とか発展の歴史とかについて、私の思い出と手持ちの写真を交えつつ思いつくままに書いていこうと思います。

《埼京線前史:赤羽線と川越線》

埼京線の歴史を話す前に、まず赤羽線と川越線について軽く触れておきます。

赤羽線は、現在の埼京線の池袋〜赤羽間にあたる区間です。東北本線や常磐線を建設した私鉄である日本鉄道が、自社線と官設鉄道(現在の東海道本線)を短絡すべく、当時は山林であった山の手地区を経由して1885年に品川〜赤羽間に建設した品川線が起源です。その後、海岸線(現在の常磐線)とも直接短絡するために、1903年、池袋〜田端間に豊島線が建設されると(正式な路線名称は品川線と豊島線を統合して山手線とされていた)、次第にメインルートが品川線から豊島線へと移っていき、1919年に上野〜田端〜池袋〜新宿〜品川〜東京〜四ツ谷〜中野の「の」の字運転が成立。これにより池袋〜赤羽間が山手線から切り離されました。のちに上野〜東京間の高架線が完成すると現在の環状運転をする「運転系統としての山手線」が成立します。

一方の川越線は、八高線と東北本線を短絡し、中央本線と東北本線を首都東京を経由せずに結ぶ、という、軍事戦略上の必要性から建設された路線でした。そのため、もともと旅客の需要が旺盛だったわけでもなく、80年代まで単線非電化のままでした。電化直前の運転系統は、大宮〜高麗川間通しの列車を基本とし、八高線の東飯能まで直通するものもあったとか。

《きっかけは土地不足》

埼京線の大半を占める、東北新幹線との並走区間は、東北新幹線が人口密集地帯を通ることから、沿線の住民への見返りとして建設されたものです。
当時の国鉄は、東北新幹線大宮〜上野間を全線地下で建設する予定でしたが、地盤が軟弱であることがわかったため高架線へ変更せざるを得なくなります。
それにより反対運動がおこるわけですが、そこで国鉄が沿線住民に提示したのが、1.当該区間の新幹線列車の最高速度を時速110kmに制限する 2.並行して「通勤新線」を建設する でした。その「通勤新線」が現在の埼京線です。ちなみに正式な路線名は「東北本線(別線)」で東北本線の線増扱いになってます。

そして国鉄は、通勤新線の車庫は武蔵浦和駅に隣接して建設し、大宮駅からは宮原駅まで高崎線と並走させ、宮原駅からは高崎線へ直通させようとしていました。
下に、1991年に大宮〜宮原間、川越線との並走区間で撮影された写真を載せましたが、複々線化のための用地がとられていることがうかがえるかと思います。(あえて165系モントレー色とデビュー当時の185系という懐かしいモノを並べてみましたww)




ところが、武蔵浦和の車庫の予定地の買収が思いのほか難航し、国鉄は急遽、未開発地が多く残っていた川越線沿線に車庫を建設し、川越線を電化して埼京線の電車を直通させる計画へ変更します。現在埼京線の車庫がある周辺は、2013年の今でも一面田園風景ですので、当時はさらに開発が進んでいなかったであろうことは容易に想像ができます。というわけで、川越線は埼京線と接続されることで、都心への直通電車が走りさらに全線が電化されるという、ただのローカル線から通勤路線へと変貌を遂げたのでした。こうして、赤羽線と新設された通勤新線を合わせた「埼京線」が成立します。
また、これにより宮原駅への直通計画は中止となりましたが、高崎線の池袋駅直通自体は、東北貨物線経由の赤羽行きの列車を山手貨物線経由で池袋へ延伸することで実現し、後に湘南新宿ラインへと発展することになります。

《車両の変遷》

1985年の埼京線開業当初(川越〜大宮〜池袋)は、赤羽線用の103系と、205系の山手線投入により余剰となった103系が充てられました。
モーターの冷却ファンが外側にある外扇式で、もともと埼京線快速のような比較的長距離を高速で走る列車には向いてないため高速度域では爆音を発する103系。
新幹線の騒音の見返りに建設されたはずの埼京線がかえって騒音源になってしまうとは何とも笑える話です。
そのためかはわかりませんが、静音型の内扇式モーターに変更された205系が1989年より投入され、1年で完全に置き換えが完了します。当時、205系は横浜線や南武線といった、国鉄時代だったら新車が直接投入されていないであろう路線にも投入されていましたが、国鉄民営化直後ということもあって、205系が集中的に投入されたのは山手線と横浜線と埼京線と、当時電化開業直後であった相模線くらいでした(※)。そのくらい、埼京線には期待がかかっていたのでしょう。


103系の写真はこれしかありませんでした。川越電車区に停まっている103系を車内から撮影したもの。
この写真は1991年1月2日の撮影。103系の引退から1か月ほど経って撮影されたものなので、休車中の埼京線用だったのか、川越〜高麗川間用の103系3000番台が複数編成並んでいたのかの両方の可能性があり得ますが、映りが不明瞭なため画像からは確実な判断ができません。わざわざ撮影されているということは前者の可能性が高いのですが…(2013年8月13日追記)


新宿行きの川越線列車。1991年撮影。

開業の翌年である1986年には新宿駅へ延伸され、さらに1996年には恵比寿駅まで延伸されます。この延伸は、山手貨物線を旅客化することで実現しています。
2002年には大崎駅まで延伸され、さらに東京臨海高速鉄道りんかい線へと直通を開始。これにより現在の姿となります。この延伸により、ただの山手線の車庫の最寄駅であった大崎駅が主要ターミナル駅となり、周辺は再開発が行われ、ここ10年ほどで大きく街並みが様変わりしました。
なお、車両については延伸のたびに、山手線、京浜東北・根岸線、総武・中央緩行線から205系が集められました。

TWR 70-000 series
りんかい線の70-000形。209系と共通設計で、余剰車が209系3100番台として川越・八高線へ転用されている。2013年撮影。

山手線の205系を転用する際には、付随車が1両も無駄にできなかったことから、山手線の6ドア車のほとんどすべて埼京線に配属され、かわりに埼京線の4ドア車が他線区に転出していきました。沿線の開発が進むとともに埼京線の混雑も激化していましたから、その点でもちょうどよかったのでしょう。

JR 205 series
最末期の205系。りんかい線直通開始時に行先表示機がLED式に交換された。2013年撮影。


そして今年から運転が始まったE233系7000番台は、ついに拡幅車体での登場!これにより定員が増加し、6ドア車も廃止されました。

JR E233_7000

※:総武・中央緩行線に投入されたものは、東中野事故の影響による車両不足の補てんのため。京浜東北・根岸線に投入されたものは武蔵野線・京葉線の輸送力増強のため103系をねん出する目的のものと、209系投入までのつなぎが目的のものとで二度に分けての投入。南武線は輸送力増強と101系置き換えのための投入で、103系は2000年代まで多数残存。京葉線は東京延伸時の快速列車専用車両としての投入。武蔵野線は8両化と増発に関連しての投入

《埼京線という路線名称について》

埼京線というのは何度か述べたように「愛称」で、埼京線という名前の路線は実際には存在しません。
大宮〜赤羽間は東北本線(別線)、赤羽〜池袋間は赤羽線(マルス上では今でも使用される)、池袋〜大崎間は山手線(貨物線)です。
ただ、愛称であるにも関わらず、大宮〜川越間は「埼京線」には含まれないのです。
205系とりんかい線70-000形の場合、川越線内でも「埼京線」と表示しますが、ついにE233系では「埼京・川越線」という表記となったことから、今でも「埼京線」は大宮〜大崎間を指す名称であることがわかります。

これはおそらく、埼京線開業後もしばらくは大宮〜高麗川間通しの列車が残っていたことと、埼京線と高崎線を接続することを、埼京線開業直後の国鉄がまだ完全に諦めていなかった(2000年まで計画自体は生きていた)ことが関連しているのではないかと考えられます。

《バイパスのつもりが新たな需要を喚起?》

埼京線はもともと東北本線の混雑緩和を目的としていた計画でしたので、大宮からの直通相手も計画では高崎線でした。大宮折り返しを設定しないといけないくらいに、大宮〜上野間の線路容量がひっ迫していたためです。
しかし、計画が変更されて川越線と接続されたことで川越線沿線の発展を促し、長らく鉄道空白地帯であったさいたま市西部や戸田市の交通の便が飛躍的に向上したことで沿線の人口が増加し、東北本線の混雑緩和というよりも新たな幹線が一本できたかのような状態になってしまいました。
それが結果として、さらなる混雑緩和策としての貨物線経由での高崎・宇都宮線の池袋行きの設定→湘南新宿ラインの成立を促す遠因になったのでは、と考えるとなかなか面白いものがあります。また、板橋駅と十条駅の15両編成対応が困難である(ホームの両端に踏切があるためホーム延伸が立体交差工事を行う意外に事実上不可能で、さらにそのために「通過禁止駅」とされているため15両編成の列車を通過させることもできない。)ことを考えると、仮に宮原駅から高崎線が埼京線に直通するようになっても、最終的に設備上の限界から乗り入れの本数が激しく制限されてしまっていたのでは、とも思います。

《埼京線の保安装置について》

車両面でも話題になっている埼京線ですが、現在JR東日本が仙石線で試験運用を行っている移動閉塞型保安装置であるATACSの導入予定路線になっていることも見逃せない点です。埼京線開業当初は、当時の最新設備であったATC-6型(自動列車制御装置。当時山手線と京浜東北線に設置されていたものと同じもの)とPRC(自動進路制御装置)のコンビネーションでしたが、PRCは老朽化によりATOSに置き換えられ、ATC-6型も今では埼京線のみでしか見られない古いシステムとなってしまいました。ATACSは前方の列車や未開通のポイントといった障害物との距離を適切に保つという考えにより設計されており、常に最適な速度照査パターンが計算され車上信号に転送されています。速度制限の現示の刻みが荒い旧タイプのATC-6とは根本から異なります。
また、閉塞という概念がないことから、これまでの設備上の限界を超えて列車間隔を詰めることができます。これとE233系の走行性能を組み合わせたら、どんな変態的(笑)なダイヤが組めるのか、私は楽しみでなりません。

《あとがき》

埼京線の歴史はそのまま国鉄末期、JR東日本の歴史を反映しており、その時その時の時代背景の影響を受けながら発展してきた路線であると思います。元は新幹線建設の反対運動から生まれ、土地不足から直通先が高崎線から川越線へと変更されたことが新たな需要を喚起し、数度の延伸とりんかい線との直通を果たしてお台場まで接続され、今では単なる東北本線のバイパスにとどまらない路線となりました。

少子高齢化の進行と地下鉄副都心線の東横線直通開始による需要の減少も予測される中、この先埼京線はどうなっていくのでしょうか。相鉄本線との直通開始が次の大きなターニングポイントとして控えており、また新たにネットワークが拡大されるのかと思うと楽しみでなりません。

JR 205 series

荒川を渡る205系。この近辺は昔から風景がほとんど変わっていません(橋梁の北側に防風柵がついた程度)。

at 13:05, Long, 鉄道(総合)

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メモリアル・東急渋谷駅

2013年3月16日に、東急東横線と東京メトロ副都心線が相互乗り入れを開始し、渋谷駅とその周辺は大きく様変わりしました。

この記事では、これまで私が撮りためてきた東横線関連と渋谷駅関連の画像を載せつつ、この改正に関する出来事をまとめていきたいと思います。なお、全てが初出しの画像ではなく、過去の記事からの流用の画像もありますのでご了承ください。


渋谷地上駅のホーム端から。


副都心線直通開始と同時に東横線から撤退した9000系。地下鉄の勾配を登りきれないから、と誤解している方もおられるかもしれませんが、みなとみらい線へ普通に入線していたことを考えるとホームドアが最大の理由かと思われます。新丸子駅で撮影。


このヘッドマークはタモリさんがつけたんですよ!
トップナンバーの9001を最後まで残してくれたあたりが粋ですよね。

…ちなみにこれも誤解している人が多そうですが、9000系自体は東急大井町線で余生を送ることが確定しています。恐らく全編成が大井町線に転属となり、8000系列を地方私鉄へと追いやることでしょう。


車両面ですと、こちらの東京メトロ03系も、日比谷線との直通を廃止したために東急線内に入ってこなくなりました。この新丸子の直線で東京メトロ03系を撮影することはできなくなってしまったわけです。

この日比谷線と東急の直通というのは歴史的経緯を見るといろいろと複雑なことになっています。
わき道にそれますがちょっと解説しますね。

基本的に、東京都心(東京市内)の交通は、帝都高速度交通営団が担うということが陸上交通事業調整法で定められ(後に東京都交通局も加わることに方針転換)、戦時中に策定された開発計画に従って敷かれた地下鉄に郊外路線を直通させることで郊外から都心への交通を確保することが決定。それぞれの地下鉄に直通相手が割り当てられ、日比谷線にあたる都市計画2号線の直通相手は東武伊勢崎線と東急東横線に決定しました。

この当時、東武線側は北千住を過ぎるとのどかな田園地帯が広がるばかりで、直通しても大した需要はないと判断され、設備投資も東急側を優先して進められることになりました。そのため、将来を見越した8両編成対応準備工事は東急側に近いほうのみとなり、さらに車両の規格も東急と営団が主張した18m車に決定(東武は20m車を主張した)。さらにルートは渋谷の混雑を分散させるために中目黒と恵比寿を経由することとなりました。

ふたを開けてみると日比谷線との直通開始が起爆剤となって東武沿線の宅地開発が爆発的に進行し、結節点となっている北千住駅がホームから転落する人が出るほどの大混雑に。むしろ東急側は渋谷を迂回したことがあだとなり、東武ほど乗客は伸びなかったうえ、挙句の果てに18m車では東急も乗客をさばききれなくなり8000系以降は20m車が主流となる展開に。東武は日比谷線直通を各駅停車に割り当て、長大な複々線を使って急行系統と分離することで18m車であるハンデをうまく抑えましたが、設備が貧弱な東急東横線では18m車8連は運用上非常に使いにくい存在となってしまい、直通の本数は改正ごとに減少していく結果となりました。

2000年には東急目黒線経由での南北線、三田線直通ルートも完成し、急行も設定されていることからバイパスルートとしてはこちらのほうが日比谷線直通より格上の感もありました。副都心線直通により、渋谷を貫く地下鉄直通ルートができたことから、日比谷線直通を残す必要性はいよいよなくなってしまったということなのでしょう。さらに言うと、ホームドア化の障害になりますし、東急1000系もいよいよ古くなってきたころから、東急7000系の日比谷線直通用バージョンをわざわざ新製するのか?という話にもなってしまいますし。


というわけで、東急1000系の北千住行きも


このメトロ03系の菊名行きも見納めということです。
ちなみに、東急1000系そのものはまだ池上・多摩川線を走っておりますが、細かいところで仕様が異なるので、1000系については形式消滅といっても差し支えないレベルかもしれませんね。


東京オリンピックに合わせて改装されたこの地上渋谷駅のかまぼこ屋根は、今見てもそん色のないデザインだと思います。渋谷を終点とするこの駅名標も今では見られません。


この微妙に時代を感じさせる発車標。実にターミナル駅らしい設備です。


くし型ホームはまさに終着駅といった風情があって好きです。今東京に残ってるのは小田急新宿駅、井の頭線渋谷駅、京王新宿駅、東武浅草駅、上野駅地下ホームくらいですかね。


Twitterでは公開してましたが、ちょっとポスターっぽく加工してみました。


意外に気づいてないかもしれませんが、こっちの副都心線側も終着駅ではなくなってしまいました。


副都心線開業直後の2008年には、今の東横線ホームはふたがされていました。


それを利用してこんな写真が撮影できました。


このポスターは東急の各駅に掲示されていました。


副都心線との直通開始により、これまで改札が別であった東横線と田園都市線が一つの改札内になったため、異例ともいえる「改札を出ないでください」との案内もされていました。また、これにより、運賃計算の規定も、実際の経路から計算する方式から、常に最短経路の運賃で計算する方式(いわゆる選択乗車を認める)に変更されました。





直通開始後、10両編成の東京メトロ10000系と西武6000系が有名撮影地である多摩川駅を通り過ぎて行くところを撮影。埼玉生まれの私としては、自由が丘で東横線に乗り換えるたび、川越市や和光市や小手指といった地名が発車標に並んでいるのが違和感ありありです。そんなところまで一本で行けるのか…と。

…というわけで、ありったけの画像をつかってとりとめもなくまとめていきました。
昨年の6月に大田区に引っ越してきて以来、東横線には渋谷へ行く時や、中目黒経由で地下鉄を使うとき、横浜方面に安く行きたいときなど結構お世話になりました。

私はそんなにたくさんの思い出が東横渋谷駅にあるわけではなく、初めて東横渋谷駅を使ったのが、2011年の7月に就活で東横線沿線の企業の選考を受けたとき、というありさまでしたが、それでもこのタイミングで東急沿線住民の一員になり、変わりゆく東横線の姿を記録するチャンスに恵まれたことをうれしく思っています。



at 20:48, Long, 鉄道(総合)

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2012年の鉄道のうごきを振り返る

さて、年の瀬ということでブログの記事も年末進行です。
この記事では、2012年の鉄道業界のうごきを、個人的な視点で振り返っていこうと思います。

まずはJRから。
2011年の震災からの復興は2012年も順調に進められ、常磐線の不通区間もかなり短くなったほか、ローカル線でも一部区間が復旧した路線が増えてきています。仙石線と東北本線の直通計画の発表といった革新的な計画も発表される中で、バス転換での復旧となった気仙沼線の例もあり、今後も東北の鉄道網がどのように再構成されていくのかは注目すべきポイントです。

首都圏については、E233系3000番台の増備が急速に進み、東海道本線東京口からの211系の撤退、高崎・宇都宮線でも211系は少数派に追い込まれました。2013年3月のダイヤ改正では、宇都宮線から211系が撤退する予定となっており(出典)、いよいよ上野駅と東京駅で定期列車として見られる国鉄型電車が185系と京葉線ホームにやってくる武蔵野線の205系だけになってしまうことになりそうです。

また、今年は新幹線の車両の動きが激しい年でした。E5系の増備が進行したことにより玉突き転配が起こり、E1系が定期運用を失いました。かつての新幹線通勤ブームからうまれた二階建て新幹線も、高速化の障害になること、少子化と都心回帰傾向により需要の低下が予測されることなどから徐々に撤退していく方針のようです。2013年3月には200系の撤退も予定されております。

夜行列車の廃止は、今年は「きたぐに」「日本海」の臨時化、臨時「能登」の消滅と、西日本管内のみでした。
臨時「能登」があっけなく消滅してしまったので(そのおかげで「ムーンライトえちご」が新ニイの485系K1・K2編成に戻ったのはうれしいところだけど)、臨時「きたぐに」と臨時「日本海」も北陸新幹線開業まで持てばいい方だと思います。「あけぼの」が2013年3月改正を乗り切ったのはすごいと思いますが、これも秋田新幹線の高速化完了とともに、青森〜秋田間のみを「つがる」に転換して上野〜弘前間で臨時化、なんてことになりかねないですね。

続いて私鉄へ。

関東の私鉄では、いよいよ2か月半後に迫った副都心線と東横線の直通関連が今年最大のトピックでしょう。
長年親しまれた東横線の渋谷駅が地下化されるほか、日比谷線と東横線の直通が廃止されるなど、東横線をめぐる環境は様変わりします。
偶然にも、今年の6月から東急沿線住民となりまして(池上線だけど)、東横線の渋谷駅を使う機会がかなり増えましたので、ちょこちょこと記録には残してきました。

東武関連では、昨年定期運用を失った8000系の8111編成が動態保存車として復活。さらにスカイツリー関連の特別車両として6050系を改造した634型が登場するなど、なかなか面白い展開が見られました。来年はなんとあの東武野田線に新車が登場するということで、沿線住民はにわかに盛り上がっています。東上線でも副都心線を介した東横線との直通が始まりますので、大きなダイヤ改正が行われます。こちらの動きも注目です。

さて、駆け足で振り返ってまいりましたが、いかがでしたでしょうか。「鉄道(総合)」への記事投稿は、今年はこれで最後になります。今年の鉄活動は、近場での乗りつぶしが中心となり、ネタを追いかけることはあまりやりませんでしたが、社会人になってカレンダー通りにちゃんと休めるようになったおかげか、話題性の高いのトピックはちゃんと拾えたのでそれなりに満足しています。twitterのおかげで情報が入ってくるのも速くなりましたし。そんなわけで、今年、鉄道関連の記事を読んでくださった方、ありがとうございました。来年も、マイペースに鉄道趣味を続けていきますので、これからもよろしくお願いいたします。

at 20:29, Long, 鉄道(総合)

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東武野田線の歴史 2012.11.13加筆訂正

東武鉄道の中でも、ひときわ地味な路線である東武野田線。
JR武蔵野線のさらに北側を走る環状線で、それなりの利用者もいる中で、21世紀の昨今、未だに全車両が鋼製車で、VVVFインバータ制御の車両も、回生ブレーキ搭載車もないという昭和の雰囲気を色濃く残している、それが東武野田線です。

そんな東武野田線に、ついに完全新製の新車、60000系が直接投入されることが先日発表され、野田線ユーザーを中心に歓喜の声が上がっています。

そう、完全新製の新車が入るというのは、野田線にとっては非常にセンセーショナルな出来事なのです。

そんなわけで、この記事では、野田線が車両面で如何に残念であったかを簡単に紹介していこうと思います。

《そもそも、東武野田線とは?》

東武野田線とは、埼玉県の交通の要衝である大宮駅から、春日部、野田市、柏を経由して千葉県の船橋駅に至る路線です。
元々は、野田の醤油を常磐線経由で全国へ輸送するために開業した野田町(当時)〜柏の千葉県営鉄道でした。その後民営化され北総鉄道(現在の同名の鉄道会社とは無関係)に、さらに春日部、大宮への延伸に伴い総武鉄道(現在の総武本線の元となった同名の鉄道会社とは無関係)となっています。元々は東武鉄道の路線ではなかったのです。

そんな総武鉄道は、1938年に施行された陸上交通事業調整法によって、東武鉄道に合併されることとなりました。
この陸上交通事業調整法とは、あの有名な「大東急」(東急電鉄が小田急、京急、京王の三社を吸収合併して出来た会社)を生む要因となった法律で、鉄道ブームで乱立した中小私鉄が経営不振に陥ったことから、これの整理統合を図るためのものでした。

そんなわけで東武野田線は、戦時中の法律によって半ば国から押し付けられるように合併させられた路線ともいえます。さらに戦後は、中島飛行機の工場が小泉町(現在の大泉町)にあったことから最優先で建設を迫られた小泉線のためにレールを供出し単線となっていた東武日光線合戦場以北の復旧、逼迫する輸送力を増強するための7300系(国鉄から戦後復旧支援で譲渡されたモハ63形)の車体更新、7800系の大量製造など、本線系へリソースが集中的に投入されていたため、野田線の発展は遅れ気味になっていました。

《3000系列》

総武鉄道から承継したものや、本線系統から転属してきた旧型車を一掃したのが3000系列です。
3000系列は、当時伊勢崎線で日比谷線直通用として用いられていた最新型の2000系を高運転台にしたような外観で、見た目だけなら新車そのものでした。
ところが、新しいのは車体だけで、その走行機器は戦前のもの。本線系統に7300・7800系や8000系といった20m車が導入されたことで廃車となった18mの旧型車の走行機器を流用して、車体だけ新製したのです。もっとも古いものでは大正末期まで遡れるものがありましたが、恐ろしいことに、野田線でも平成の時代まで走っていたのです。

《8000系》

そんな野田線にも、本線の使い古しではありましたが、1977年に8000系が投入されました。
これは、沿線の宅地化に伴い、18m車では輸送力が足りなくなったことから、20m車を導入するべく登場したものです。

《5000系列》

ところで、3000系列は冷房車ではなかったので、野田線は当時大半が非冷房車でした。
そこに登場したのが5050系と5070系です。見た目は8000系と同じでなんと冷房車!
しかし、足回りは8000系よりも古い吊り掛け駆動。これは、戦後本線の輸送力増強のために活躍した7800系を、車体とブレーキだけ8000系と同じにしたものでした。しかし悲しいことに、これと引き換えに8000系は1983年に一度野田線から撤退。当時の野田線のダイヤでは、8000系ですらオーバースペックであり、5050・5070系(起動加速度1.6km/h/s)でも十分であったのでしょう。8000系列は、10000系列の登場により5000系列が本線からお役御免になるまでのつなぎであったともとれます。

※初出で、この当時配置されていた8000系が非冷房車であるとの記述をしましたが、冷房改造が始まっていたころの転入であり、冷房車が配置されていたとのことでした(出典)。申し訳ございません。

《2080系》

そんなこんなで、昭和の後期になっても未だ全車両が吊り掛け駆動の旧性能車であるという「吊り掛け天国」であった野田線でしたが、1988年になって、再度カルダン駆動の車両が配置されました。それが2080系です。
当時の最新型であった20000系によく似たブラックフェイスで、見た目だけなら新車でした。そう、見た目だけなら。

この形式にはニコ動で一部の人に大人気な「迷列車で行こう」の動画があるので、それを見て頂くのが早いのですが、これは日比谷線直通用に製造された2000系のうち、増結用に作られた比較的車齢の若い車両をかき集めて、6両編成を作って投入したというものなのです。これは、少しでも早く3000系を野田線から撤退させるためのものでした。

2000系は全電動車だったのですが、それは野田線ではオーバースペックだったので、一部をモハからサハに改造してまで使用。それゆえか故障が頻発。さらに非冷房のままだったこともあって、たった4年の活躍に終わりました。


《その後》

…その後は、10000系列によって玉突きされた8000系が転入し3000系が撤退、その後5050系を日光・館林ローカルへと追い出した後は8000系と5070系が半々ほど。続いて30000系の投入によって5070系の廃車が進行し、2004年に5070系が完全撤退し、現在の姿になっています。さらにその後も、50000系列の投入によってねん出された本線の比較的新しい8000系によって、野田線の古い8000系が置き換えられました。

こうやって調べてみると、どうやら野田線に完全な新車が入るのは、野田線が東武に加わってから初のことだったようですwww。10000系列の転属ではなく新車投入となったのは、恐らく、分割併合があり、高加速度が求められない本線系統の地上車運用では、貫通型で、駅間の長い路線を高速走行するのに向いた性能になっている10000系列が比較的使いやすいため、これを野田線に転属させるのはもったいない、という判断からなのでしょう。最近は30000系を東上線に転属させてまで本線に10000系を入れてるくらいですから、本線の地上運用は、地下鉄直通車の間合い運用を除いて全て10000系に統一したいのでしょう。

60000系は、50000系列ベースの設計になっているようなので、恐らく起動加速度は3.0km/h/sです。この加速度は駅間が短い野田線でこそ活きるものですが、さて、野田線が60000系に統一される日はいつなんでしょう。当分の間はは起動加速度2.23km/h/sの8000系でも走れるゆとりダイヤで本来の性能を押さえつけられての走行になるんでしょうね。

…ちなみに、8000系の起動加速度がこんな中途半端な数字なのは、冷房改造で重くなったせいで、新製当初は2.5km/h/sです。

at 20:53, Long, 鉄道(総合)

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「国電総研スペシャル2012」が更新されたので、いろいろと書いてみる

首都圏在住の鉄道ファンの間では有名な「国電総研」という鉄道ファンサイトがあります。
その名の通り、国電(72系電車から205系電車までの「国電区間」で運用されていた国鉄形通勤電車の総称。より広義にはその流れを汲む209系以降のJR東日本の通勤電車も含む。)に特化した車両研究サイトですが、最近は専ら今後の車両転配や新形式の投入といった車両の動向を予想する(しかもその的中率が高い)記事を定期的に更新していることで知られています。

2011年は更新がなかったのですが、2012年になって「国電総研スペシャル2012」が投稿されました。
件の記事は淡々と計画を述べているだけですが、この記事ではそこで述べられている計画に対し、補足やより深い考察を行うことにより、出来うる限り多くの情報を引き出してみたいと思います。

●E233系

 横浜線、埼京線への投入がリリース済み(何かわかりましたら更新いたします)。

 3000番代高崎車、2012年9月1日より高崎線で営業運転開始。


これはもう周知の事実です。今更特に言うことはありません。
ただ、これ以上の言及がないということは、裏返すとE233系の投入は横浜線と埼京線で最後、ということが予想できます。恐らく相鉄直通向けは埼京線向けに含まれるか、後述されるE235系の投入となるのでしょう。

●E235系

 品川−田町間新駅開・品川構内留置線廃止絡み?で山手線に2014年度1本投入の模様。


これは2010年にも同じことが言及されており、計画に変更がないことを示しています。
品川構内留置線の廃止により所要編成数が増える結果、先行投入されるものと考えて間違いないと思います。
似たような事例として、中央線快速の立体交差工事に伴い、武蔵小金井駅で折り返しが出来なくなったことから所要編成数が増え、201系の廃車が予定より延びたということがありました。

●209系

  (略)

 2008年から始まった209系0番代の房総転用改造も、2012年度でいよいよ終了。最終出場は秋田総車セ担当のマリ618(旧ウラ59の6輌)で、年明け2013年の2月下旬出場の模様。(以下略)


これは幕張の211系の押し出しのためで、周知のとおり。

●205系

 表題に掲出の通り、日光線、宇都宮線黒磯ローカル転用車は600番代となる模様。2010年国電総研スペシャルでお知らせした4連10本、6連3本は、結局4連13本となった模様である。
 トイレ設置、ドア開閉ボタン設置工事などのほか、抑速ブレーキ追加のため励磁装置の改造が行われる。日光線用、黒磯ローカル用は、運用が分けられるようで、それぞれに向けた車輌となる様である。
(中略)

東日本大震災で被災した仙石線用車ミノM7編成が、2012年9月5日から7日に掛けて、留置されていた石巻駅から総合車両製作所(旧東急車輛)に輸送された。同編成はVVVF制御に改造される予定で、約1年間入場する模様。
 仙石線用車は将来的にはVVVF化することが予定されていたが、M7編成は修理と同時に行われることとなった。今後、引き続いて他編成に及ぶものと思われる。(以下略)


205系600番台の登場です。日光線と宇都宮線黒磯口で運用を分けるというのと、4連に統一というのは予想外。日光線には予備車がなく、予備車が必要になった時は高崎から借りてきていた状況だったので、宇都宮線との共通予備車を小山配置にすることでこの不便を解消するものと思われます。

日光線は始発・終電と多客期に6両編成が運転されるので、これが4両化にともないどうなるのかは気になるところ。日光線はかつて優等列車が多数行きかっていた名残でホーム有効長が長いので、8両編成での運転も可能かと思います。

また、宇都宮線でも211系5両編成が205系4両編成になって減車です。東北のローカル線のように立席定員の増加という言い訳で逃げるのか、わずかに残っている黒磯発着の上野行き電車を廃止して完全独立のフリークェントダイヤを組むのかのどちらかが予想されます。効率化という観点に立つと断然後者なんですけどね。

仙石線の205系のVVVF化は予想外でした。東北に唯一の直流電化のJR線ですから、車両をなるべく延命したいというのは納得。

●211系(参考)

 E233系・209系投入で運用から外れた田町・高崎・幕張車の長野総車セ経由の各地疎開が活発化。豊田車セ転用予定と言われていた幕張車は、長野総車セ転用となった様で、現在115系で見られる「長野色」を思わせる帯色となって営業運転に入る模様である。
 今後、新潟地区なども含めて211系が転用されるが、転用に当たってのVVVF化などの大工事は行われ模様。ただし、その後のVVVF化は検討されている様で、1M1Tとなる2連では初めからVVVF化さるれ可能性も考えられる。

 なお、転用にあたり勾配線区での使用となるため、2011年2月に、25‰での1M車カット運転を条件としたデータ取得走行試験が日光線で行われた。これは上記日光線205系転用抑速ブレーキ付加改造のデータ取りも兼ねてのものであった。


引用部分の誤字・脱字はすべて原文ママ。
VVVF化はされないという噂は耳にしていましたが、どうも事実っぽいですね。
ただ、「4号車の5号車寄り」で公開されている211系の座席モケット交換状況の表から推測される転用候補編成に、どう考えても1M1Tの2連を組むとしか思えないものがあり、これは床下機器の吊り換えなんてやるくらいならさすがにVVVF化するんじゃないかと思ってました。ここでも同じ予想がされています。なお、211系を1M1Tにしたらそれは213系ですが、既にJR東海にも1M1Tの211系が存在しているし主回路の構造で形式を決める国鉄式命名はとっくに崩れてます。

幕張車の転用が当初言われていた豊田ではなく長野になったのは、恐らく北陸新幹線の金沢延伸に伴い信越本線が経営分離され、長野の受け持ち区間が短くなり余裕ができることから、豊田と長野で分かれていた中央東線のローカル運用を長野に集約する意図があるものと思われます。長野車は松本から立川まで入線しますが、豊田車は小淵沢までの運用です。これを共通化することには意義があるでしょう。そもそも、豊田に115系が配置されていたのも、新宿発の中央線中電があったからで、高尾〜小淵沢間のローカル運用を受け持つにはあまりにも非効率です。


最後は長野色211系の予想図(ウソ電)を載せて締めたいと思います。GIMPの色相変換で塗り替えたけどあまり上手くいかなかったなぁ…。完全順光で綺麗に撮れてる短編成の211系の写真があまりないのでどうしてもこれが限界。方向幕のパースが狂ってるのは完全に管理人の図形的センスのなさが原因です。


at 21:40, Long, 鉄道(総合)

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6ドア車考察




猫麻呂☆さんがtwitter上でこんな発言をされていたので、ふと思い立った考察を記事にまとめてみようと思います。

6ドア車は、今ではすっかりおなじみの車両になりました。現在6ドア車を連結している東京の路線は、中央・総武線各駅停車(10両編成の5号車)、横浜線(8両編成の2号車)、埼京線(10両編成の2・3号車)、東急田園都市線およびその直通先(10両編成の4・5・8号車)。また、東京メトロ日比谷線およびその直通先では18m5ドア車が8両編成のうち1・2・6・8号車に連結されています。このように、6ドア車は、非常に混雑の激しい区間に導入されるもので、編成全体の着席定員を削ってでも車内空間を広くとり、乗降時間を短くすることを目的としています。

その一方で、かつて6ドア車を連結していましたが現在は廃止されている路線に山手線と京浜東北線があります。この二路線も混雑が激しい区間ですが、ホームドアの導入に関連して姿を消すことになりました(京浜東北線は厳密にいうともう少し違う理由が絡みますがそれは後述)。加えて京王線でも5ドア車が走っていた時期がありましたが、4ドア化されたり支線区に転属になったりと、本線で使用された時期は短いです。また、つい最近埼京線と横浜線にE233系が投入されることが発表されましたが、ここでも6ドア車に関する言及がなく、廃止されるのではないか、と予想している人が多いです。

実のところ、6ドア車は、開発当初はちゃんとしたサービス向上だったのですが、後の方になると必ずしもサービス向上とは言えない運用がなされており、現在のような賛否両論を生む羽目になったのです。そこでこの記事では、6ドア車の歴史を概説しつつ、各路線の事情をそれぞれ論じながら、今後の6ドア車をめぐる展開を予想しようと思います。

《もともとは「増結」であった6ドア車》

6ドア車は、1991年に山手線が11両化された際、最も混雑の激しかった10号車に新たに組み込む付随車を6ドアにしたのが始まりです(厳密にいうと10両時代に試験投入された1990年からの一年間がありますが)。つまり、この時は編成全体の座席数は減少するどころかむしろ増加し、平均乗車時間の短い山手線ではむしろ歓迎される流れだったのです。同じく1994年の横浜線での導入も、編成が7両編成から8両編成へ増強されることとなり、山手線と同じパターンです。

ところが、1996年から1997年にかけての京浜東北線での導入は事情が異なり、既存の付随車を6ドア車に差し替えての導入となりました。これは編成全体での座席数が減少しているため、着席という観点ではサービスの低下といえます。2000年からの中央・総武線各駅停車での導入も同じパターンになります。このパターンは、山手線、横浜線での成功を踏まえて、着席サービスの水準を低下させてでも乗降時間を短縮し、定時性を高めようとした結果と言えます。

2001年から2002年にかけての埼京線での導入も同じく付随車の差し替えですが、埼京線ではさらに事情が異なっています。これは山手線の205系を他の路線に転属させる際、先頭車が大幅に不足するため付随車を改造することで先頭車を製造することになり、付随車が1両も無駄にできなくなった結果、山手線の6ドア車を埼京線の4ドア車と差し替え、必要数を確保したという経緯があります。

《6ドア車以外の混雑緩和策》

このように、乗降時間の短縮と編成の増強の二つの目的を持って登場した6ドア車が、いつの間にか乗降時間の短縮のみを狙って導入されるようになった結果、猫麻呂☆さんのツイートのような意見が出てきてしまうようになりました。その最たる例が東急田園都市線の東急5000系の例で、最初は1両だったものが2両、3両と増えていきました。3両というのは、編成中の付随車を全て6ドア車にするというもはや暴挙とも言うべき編成で、そこまでしても朝のラッシュ時は半蔵門線が慢性的に遅延する、という何とも悲惨な状況になっています。

このように、6ドア車を連結する、というのは焼け石に水とでも言うべきか、抜本的対策ではないのです。
それにJR東日本も気付いたのでしょう。近年は6ドア車以外の混雑緩和策をとるようになりました。京浜東北線は車体幅の広いE233系の導入により混雑の緩和が期待でき、将来的には東北縦貫線が開業して上野〜東京間の混雑が低下することから6ドア車を廃止しました。山手線ではホームドアの導入が6ドア車の廃止の理由とされていますが、実際のところ幅の広い車体を持つE231系500番台の導入や、湘南新宿ラインと東京メトロ副都心線の整備による混雑緩和があったからこそオール4扉化とホームドアの導入に踏み切れたというのが正しいのではないでしょうか。また、デジタルATCの導入に伴い、さらなる増発が可能になったことも6ドア車がなくなる理由と言えそうです。

同じく横浜線と埼京線でも、E233系の導入により車体幅が広くなることから6ドア車が不要になるものと思われます。実際、編成での定員はどちらも100名ほど増加します。埼京線では保安装置をATC-6という旧型のものから、ATACSという移動閉塞型の新型保安装置(現在仙石線で試験運用中)に交換するため、相当数の増発が可能になると思われますし、E233系に統一することで最高速度を並行する新幹線と同じ110 km/hに引き上げることも可能と思われます。横浜線については車体幅が広がる高価だけで十分でしょう。

ただ、だからといって東急の策が愚かであるというわけではありません。東急の場合、車両限界の関係から、JRと同じ車体幅の広い車両は使用できませんし、渋谷駅の改良が事実上不可能なので、もはや6ドア車に頼るしかない状況なのです。これは日比谷線や、ワイドドアを導入している東西線でも同じことが言えます。

まとめると、多扉車を導入することによる効果は、それ単体ではさほど大きいものではなく、線増や駅構内の改良、車両の拡幅といったような他の対策が講じれるのであれば、好ましい手段ではないといえます。

《6ドア車の今後》

埼京線と横浜線では、前項でも述べたとおり廃止される可能性が高いと思います。実は6ドア車は、ドアの数が多い分ドアエンジンという駆動部品も多くなり、冷暖房もほかの車両より高性能な特殊品を搭載している関係で、メンテナンスにかかる手間も大きいものと考えられます。今後の新規導入はJRでは考えにくいです。

中央・総武線各駅停車に関しては、西船橋から先、三鷹方面へ向かう朝ラッシュの列車ではかなりの混雑となりますが、その混雑も御茶ノ水までで、その先はかなり空いています。このことからも、6ドア車は廃止になる可能性が高いと思います。かねてから、山手線への新車投入がうわさされており(10号車がE233系仕様になっているのは、この新型車投入を見越してのこと)、それによりねん出されたE231系500番台が中央・総武線各駅停車に投入され、それにともない6ドア車が廃止されるというのが私の予想です。E231系500番台は既存の0番台より起動加速度が高いため、それによる増発が見込めるほか、もしかするとこれに合わせてデジタルATCの導入なんかも行うんじゃないかとも考えられます。まあ、ここまでいっちゃうともはや妄想のレベルですが…w。


《まとめ》

●6ドア車は、かつては編成両数の増強と同時に大幅な定員増を図るために導入されたものであった。

●しかし、後に既存の4ドア車を差し替えてまで導入する例が登場し、着席サービスの低下につながった。

●地下鉄のように設備増強の幅が限られる路線の場合は有効な手段と言えるが、地上路線ではできる限り他の方法で混雑緩和を図ることが望ましいと考えられ、実際にJR東日本ではそのような傾向にある。

本稿の論旨を箇条書きでまとめると以上の通りです。

マイナスイメージが目立つようになってきた6ドア車ですが(特に田園都市線の例はあまりにもえげつないので、鉄道ファンの間でもあまりよく思われていない)、山手線で登場したばかりのころはちゃんと時代に即した素晴らしい施策だったんですよー、ということをわかっていただければ幸いです。通勤電車の歴史を語る上では、6ドア車は避けて通れない重要な車両なのです。

注意事項:埼京線向け、および横浜線向けのE233系の詳細な仕様は未だ発表されておらず、筆者の予想によるものです。ましてや山手線への新車投入とそれにかかわる転配については公式発表すらされておりません。これらに関してJR東日本様への問い合わせは固く禁じさせていただきます。

at 20:29, Long, 鉄道(総合)

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東武伊勢崎線 東武動物公園〜押上・浅草間に愛称導入:東武スカイツリーライン

東京スカイツリーの開業を控えた東武鉄道では、3月17日より、伊勢崎線の東武動物公園〜押上・浅草間に「東武スカイツリーライン」という愛称を導入することを決定しました。

また、これに合わせて海外からの利用客を意識した駅ナンバリングを採用。東京メトロを皮切りに、都営地下鉄、京成・京急、JR四国など様々な事業者に導入されすっかり定着した駅ナンバリングですが、ようやく東武にも導入されました。

さて、元沿線住民からの意見としては、何だか長い名前だなー、と。恐らくこれは定着しないだろうな。駅ナンバリングでは東武動物公園以南と以北で区別されるうえ、ラインカラーも変更になるため、恐らく案内放送ではスカイツリーラインと放送されるはずですが、乗り入れ先での案内は「東武線直通」のままだと思います。

実家が伊勢崎線の東武動物公園以北にある私が「東武線沿線に住んでます」というと、大抵「日光行く線でしょ?」とか返されて説明めんどくせー的な流れになってたので、東武動物公園以南が「伊勢崎線」であることも一般人には定着していません(案内放送でも伊勢崎線、って言っているんですけど)。伊勢崎線という路線名が東武動物公園以北でしか案内されないようになれば、案内がより実際的になるのでいい流れだと思います。それでも多分一般人はツリーライン、とかいわずに東武線、とかいうんでしょうね。京急や小田急の本線を正式名称で呼ぶ人が鉄オタのなかでも少ないように。

住民票とか年金手帳とか就職に関連していろいろ手続きしに実家に帰らなくてはならず、それがダイヤ改正後になるので、その時実際の雰囲気を味わってきます。いつもだったら亀戸から乗るんですが、今回は行きだけ浅草から乗ってみようかな。

東武鉄道公式サイト

at 23:18, Long, 鉄道(総合)

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