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私が「トイレの神様」を嫌いな理由

昨年末の紅白歌合戦で初めて聴いた「トイレの神様」。
どうも好きになれん、と引っかかってたのですが、先ほど帰宅途中に遅い夕食をとろうと立ち寄った某牛丼屋で流れていて、この記事を書こうと思いつきました。

まず、本題入る前にいろいろ補足。

まあ荒れそうな話題なんで断っておくと、記事タイトルをわざわざ一人称から始めているのは、「私個人の」意見に過ぎない、ということを表現するため。だから同意できない、って人はそれはそれでいいので、そのままスルーして結構です。

ただ、私が伝えたいのは、人の感受性は実に多様である、ということ。
この記事は、人々の多様な感受性を理解・許容せずに、一つの歌を半ば強引に「流行歌」に仕立て上げ、「9分52秒という長さの曲にもかかわらず『聴く人誰もが泣ける歌』として話題となり」(Amazon:トイレの神様(本) 商品紹介より)などと安っぽいキャッチコピーをつけて売り出すその安直さや、YouTubeのコメントなんかに「ただ、こころの奥底では感動し­ているのに、それを正直に表現できないヒトは可哀相そうだと思う­。」などという感受性の押しつけとも言えるコメントが、一つや二つじゃなく、結構な割合で書き込まれているこの状況に対する私なりの批判です。

さて、私がこの「トイレの神様」を嫌いな理由は、私情を極力排除するとこの1つに集約されます。
それは、「歌詞があまりにも具体的過ぎて、感情移入できない」こと。

私が考える「良い歌詞の基準」の1つは「聴き手の想像力が介入する余地がある」ことです。

「トイレの神様」の歌詞は、植村花菜本人の個人的体験がそのまま歌詞になっていて、一般化がなされていません。なので、私のような立場も環境も大きく異なるような人間にはまるで他人事なのです。別に私は関西出身じゃないので吉本新喜劇の録画を頼んだこともないし、恋人と遊び歩いて休みの日も家に帰らないような悪ガキでもなかったので、この辺の下りには全く共感できません。

このように書くと、このような細かいところは共感できなくても、核となる「家族の大切さ」には共感できるだろう、とか、肉親を亡くした経験がない人にはこの曲の価値がわからない、みたいな反論もあるでしょう。

しかし、例えば私は男ですが、女性目線で書かれた歌詞の曲を聴くにも別に困難を感じません。本当に聴き手の想像力に訴えかける力がある曲なら、自然と曲の世界観に入っていけます。共感できない細部は些細なことですが、曲の世界に入っていくうえでのノイズにしかなりません。

また、私も結構いい歳ですので、肉親を亡くした経験もあります。昨年早く祖父を亡くしていますし、一昨年には伯母を亡くしています。だから、理解できないわけではないのですが、この曲を持ち上げる周囲の意見からは「家族が死んだら悲しいものだ、辛いものだ。そう感じないやつは頭がおかしい。」というような思想が感じられ、気持ちが悪いのです。

はっきり言いましょう。この曲の歌詞は「詩」ではないです。「詩」と呼ぶにはあまりにも具象的すぎます。
言葉の表面的な意味だけでなく、裏の意味を込めることで、短い言葉の中に二重三重の解釈(つまり聴き手により異なる解釈が存在し得る)ができるのが詩の魅力なのに、この曲にはそれがないのです。

では「掌編小説(ショート・ショート)」と呼ぶべきか。それにしては肉付けが足りません。先の展開は簡単に読めてしまうし、「トイレの神様」と「おばあちゃん」との関連性が弱いです。この場合、「おばあちゃん」が「トイレの神様」の話をしたバックグラウンドとなる、「おばあちゃん」の人間性に関する描写がもっと必要でしょう。

そんなわけで、この曲の歌詞は非常に中途半端な立ち位置なのです。詩のように主観的に楽しむにはあまりにもノイズが多すぎて、小説のように客観的に、傍観者のように楽しむにはあまりにも薄いです。評価できる点は「分かりやすさ」しかないのです。「聴き手の想像力が介入する余地がある」歌詞は、それと同時に「聴き手の想像力が介入することにより初めて完成する」曲でもあるので、いささかわかりにくい歌詞になってしまうのは否めないかと思います。「トイレの神様」の歌詞は非常にわかりやすいですし、印象にも残りやすい「トイレの神様」というキーワードを入れたので話題になるのもわかります。ただ、マスコミが騒ぐほどの曲ではないというのが正直な意見です。マスコミはきっと、昨今の視聴者離れから、話題作りに躍起なのでしょう。こういう曲は、例えるならばファンしか買わないアルバムの中に収録されるような曲で、良いと思える人が自分の中でひっそりと大切にしていればいい曲だと思うのに、引っ張り出してごり押しするからこういうことになるのです。

インターネットの登場により、オリコンチャートに権威がなくなり、流行歌という存在すら消滅しかかっている昨今。それなのにバブル時代となんら変わらないビジネスモデルを維持しているようではオタクしかCDを買わなくなるのは当たりまえ。そんな中、売れる(=分かりやすい)ことだけを最優先にした曲作りをした結果、最近のJ-POPは薄っぺらい曲ばかりになってしまったように感じます。

90年代から2003年までのJ-POP黄金時代(「世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)」以来ダブルミリオンが出てないことからここを区切りとした)が「質から量へ」の転換期だったならば、2004年以降は「量から質へ」と転換期ではないか、と感じています。この音楽業界に、「飽和溶液から綺麗な結晶が析出してくるような」変化が起こることを期待しています。そんなわけで、今回のようなゴリ押しでヒットを作り出すようなマネは、そろそろやめにしませんか、と言いたいのです。

最後の方ではかなりタイトルから離れてしまいましたが、ここまで読んでいただいた方にはお礼申し上げます。

at 01:56, Long, 音楽

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クロごま, 2011/01/09 6:44 PM

こんにちは。 興味深く拝読させていただきました。 この歌って植村さん本人とおばあちゃんのためだけに作った歌であると植村さん自身おっしゃってました。
まぁ私もゲットという言葉に強烈な違和感を持っている者ですので、多少なりともお気持ちはわかるつもりです。 ちょっと私なりに感じたことコメントしました。 それだけです。

Long, 2011/01/09 10:54 PM

クロごまさん、コメントありがとうございます。

>この歌って植村さん本人とおばあちゃんのためだけに作った歌であると植村さん自身おっしゃってました。

この話を聞いて自分の中で整理がついた気がします。私は多分この曲そのものが嫌いなんじゃなくて、マスメディアのこの曲の扱い方が嫌いなんじゃないかと。というのも、植村花菜というアーティストが、どんな人なのかをある程度知っていたら、この曲に対する理解もまた違ったものになる可能性があるからです。彼女が別の曲で先に有名になって、その後この曲が出てきたんなら、ここまで嫌いにならなかったんじゃないかとも思います。

どうもこの曲は、隠れた名曲のままでいたほうがよかった気がするのに、フルで歌わせてくれないと出場しない、という条件を飲んでまで紅白歌合戦に出場させたNHKとか、ドラマ化までやってしまったTBSとかは、どうも批判してやりたくなるんですよ。

通りすがりの者, 2011/01/21 11:22 AM

Longさん、初めまして。
この記事についてとても共感できます。私が思うにこれまで表舞台に立つことができた人、いわゆる売れた人、の大半は結局のところは力ある人の意図から始まったメディアの洗脳によるものではないかと思っています。
そして、悪い言い方をすれば受けての大半はそういった洗脳に簡単にかかってしまう。別の言い方をすれば、大半の人は大勢に乗っかることができれば気持ちいいから気にしないんだと思います。気持ちよければそれでいい。
大勢に無条件に乗っかることに違和感を感じる少数派は、生きていくのにどうも苦労しますよね。。。

Long, 2011/01/22 1:49 PM

>通りすがりの者さん

>売れた人、の大半は結局のところは力ある人の意図から始まったメディアの洗脳によるものではないか

これは少なくとも90年代の音楽に関しては正しいと私も思います。おっしゃる通り、この時代は、「流行歌」を「コミュニケーションツール」として使っていた点が少なからずあったでしょう。だからオリコンチャートも機能したわけです。

>大勢に無条件に乗っかることに違和感を感じる少数派は、生きていくのにどうも苦労しますよね。。。

これは2011年の今においては間違いです。学校では、職場ではマイノリティであろうと、空間的制約のないインターネットを使って結束すれば、場の空気を変えることも不可能ではないはずです。

ヘックシ, 2011/01/29 6:21 AM

昔は「いい歌」だから「流行った」訳で
今は「流行らせる=宣伝費」で「売れる=いい歌」みたいな図式です
送る方もあれですが受け手の感性も腐っていってるんだと思います
特に日本人は自分が好きな物を胸を張って言えない人が多いです
だからこんな風になってるんでしょうね
私のトイレの神様の印象は
「ちょっとクラスから浮気味の中学生の女子が作文の課題で力込めて書いてきてそれを朝会で発表している」ような感じでした
マスコミが紅白に向けて何かいい神輿はないかなーと探していて
とりあえずこれを売り出そうという魂胆が見え見えでした

Long, 2011/01/30 1:32 AM

ヘックシさん、コメントありがとうございます。

>昔は「いい歌」だから「流行った」訳で
今は「流行らせる=宣伝費」で「売れる=いい歌」みたいな図式です

これも90年代以降のJ-POPにおいては全くその通りで、音楽が「消費されるもの」になってしまっており、宣伝費をかけないと売れない、という図式かと思います。

>特に日本人は自分が好きな物を胸を張って言えない人が多いです

いわゆる「全体主義」というべきか。流行ものについていけないと仲間外れにされるからうんたらかんたら…ってやつですかね。ただ、今の時代、自分の好きなものをネットで胸張って言えますし、同じ価値観を共有する人たちは、ネット上で集まっている限り少数派であろうと孤独ではありませんから、自分の感受性に自信を持てる人が増えたのではないか、とも推測しています。なので、従来のマスコミがヒットを売り出そうと画策しても、本当にその価値があるものでなければこうやってネットで叩かれる、と。

AS, 2011/02/17 12:44 PM

“トイレの清掃に精を出すとかわいい子宝に恵まれる”というのは昔からありました。
これは女性限定で、“では男性もそうなのか”とツッコミを入れているのは自分だけではありません。
まして、そこに宿る神が男神なのか女神なのかは人間の都合のいい解釈次第になっています(美と愛の神は女性、軍と戦いの神は男性)。

厄介な事に(何が?)母に“この曲違和感を持つ人多数”と話したところ、“世の中には色々な人がいる(でもこの曲はいい曲なんだ)”で済まされてしまいました(嘆)。

別のブログ
http://blog.livedoor.jp/elite_nurse/archives/51484376.html
でも論じられていますので、是非トラバ飛ばしてあげて下さい。

Long, 2011/02/18 11:26 AM

ASさん、コメントありがとうございます。

男性ですと、トイレを綺麗にすると、美人のお嫁さんが貰える、みたいな話を聞いたことがあります。よくある民間伝承みたいなものですから、別にそこはどうでもいいですが。

私はこの曲が取り上げてる題材については「よくあるいい話」程度の受け止め方しかしてなくて、別に内容そのものに不快感を覚えてはいないです。私が言いたいのは、大したことがないこの程度の歌が、マスコミに持ち上げられてヒット曲にされてしまっている、という、「流行があからさまに作られている」事実を批判したいのです。曲の内容についてあれこれ言い出すのなら、あなたのお母さんが仰る通り「世の中色んな人がいる」で終わらされてそれだけですよ。

うなぎ, 2011/02/25 3:40 AM

始めましてこんにちは。
私も「トイレの神様」が非常に苦手です。
歌詞が同じ事を何度も説明し押し付けてくる印象で、上手いとは思えません。
おばあちゃんが亡くなる時の様子をあんなに具体的に言葉にする必要ないです。
亡くなったんだろうな、と思わせるくらいのほうがずっと自然に受け入れられたと思います。
「トイレの神様」というタイトルもその思い出をピックアップしている所も、そんなちょっと変わったタイトルを入り口にして「聞いたら意外にいい話で、感動」に持っていっている道具にしか思えません。おそらく無意識なんでしょうが、あざとさを感じてしまいます。
それからなぜか歌い方におばあちゃんを完全に納得行く形で見送ることが出来た満足感のようなものしか感じられません。肉親が亡くなった時って少なからず心の痛む後悔があると思うのです。ここまで拒否してしまうのは私が特殊なのかもしれませんが・・・。この曲だけじゃなく最近の曲の歌詞は分かり安すぎる言葉で家族愛を単に語るだけのものが多いような気がします。

Long, 2011/02/27 3:44 PM

うなぎさん、コメントありがとうございます。

>最近の曲の歌詞は分かり安すぎる言葉で家族愛を単に語るだけのものが多いような気がします。

まさにそこなんですよね。どうも私もその点が引っかかります。受け手の想像力が貧困になってるのか、レベルの低い受け手に合わせないと売れないのか、その辺はわかりませんが。別に歌そのもののレベルが低いんじゃなく、この歌をやたら持ち上げるマスコミがレベル低いんですけど。

なお, 2011/07/31 11:54 PM

記事が書かれてから大分経ちますがコメント残していきます。
記事に関して、大枠共感してます。最近のK-POP押しと同じような気持ち悪さを私も感じていました。

このように問題意識は常に持つべきだと、改めて考えさせられました。

Long, 2011/08/03 11:12 PM

なおさん、コメントありがとうございます。

そういや最近某俳優が韓国ごり押しの某目玉マークのテレビ局を叩いて以来、そのあたりの論争が熱いですね。

私が思うに、特権的な立場から大衆に向かって発信されるテレビのような旧来のマスメディアは最早時代遅れではないかと。「トイレの神様」も「K-POP」もそれ自体はダメでもなんでもないのに、テレビがごり押しした途端叩かれるという。

今後テレビが生き残るには、インターネット(特に動画サイト)との親和性を高めることを意識しないといけないでしょうね。古いメディアとされていたラジオが、インターネットラジオやTwitterと連携することで最近復権しつつあるように。


まあ、頭の固い世代が引退するまでは無理でしょうが。

吉本を 検索して 見た者, 2011/08/29 1:14 AM

偶々 気になって見た者です。
歌自体は 嫌いでは無い者ですが、そう思うのもが、あっても 仕方ないかも知れないと 思いました。
押し付けられて 聞かされる感じがイヤと いうことなのでしょう?

しっとりとした 関西の隠れた いい曲だったのに・・

Long, 2011/08/29 1:25 AM

吉本を 検索して 見た者さん、コメントありがとうございます。

おっしゃる通りです。歌自体が嫌いなのではなく、これをゴリ押しするメディアが嫌いなのです。

通りすがり。, 2011/09/19 3:49 PM

新曲がリリースされたみたいなので、あの人に対する個人的感想を勝手に述べますw
コリもせず我が道を往く二匹目のどじょう狙いですね。
アーチスト(表現者)ってものは
言葉を吟味して、削って削って核を残すという、命を削るに等しい作業だと思ってます。
だらだら作文かかれても、お前いくつだよ?位しか感じません。

板汚し失礼致しました。

Long, 2011/09/19 7:14 PM

>>通りすがりさん

新曲2曲とも聴きましたが、私は悪いと思いません。CD買おうとは思いませんが、どちらも素直で聴きやすいと思いますよ。「世界一ごはん」はシチューのルゥのCMに使われていることも考慮しなくてはなりませんし、私も都内で一人暮らしをする身ですから歌詞で言ってることはよくわかります。

記事本文でもある程度書いているように、この手の曲は、「良いと思える人が自分の中でひっそりと大切にしていればいい」のです。決して「流行歌」にはなり得ないのです。私自身も、「自分は大好きだけど、他人にはそんなに薦められない」自分だけの「My Favorite Song」がたくさんあります。本人に商売っ気があまりなさそうなので、むしろ私はわが道を行ってほしいと思っています。

通りすがり, 2011/10/15 10:32 AM


ラジオで流れるたびに植村花菜がどうにも自分の中で異物となっており、
検索でたどりつきました。

トイレもごはんもメロディがつい口から出るのですが、
やはり歌詞が苦手です。

歌謡曲の歌詞は歌手が「演じて」いるのがよいと思うのです。
石川さゆりが日常生活でも「天城越え」のような女性ならちょっと怖いです。
ポピュラーでも同様です。
四畳半を語るフォークソングですら、
歌い手の実体験そのものとは一致していなかったと思います。

翻ってこの2曲(それしか知りませんが)は私小説に思います。
私小説はなんというか、気持ち悪い。
自分の胸にとどめておけなかったものを受け手のことを考えず
吐き出している気がして。
少なくとも私は、音楽に提供者のありのままを求めてはいません。

植村さんは歌詞は別の人に書いてもらってコンポーザーに
徹したほうがいいと思います。
例えば私は松本隆や、藤林聖子の書く歌詞を「ものすごい」と
思うのですが、
もっともそれらプロの作詞家の「詩」に彼女の曲が耐えられるかどうか、
それはわかりません。


駄文失礼いたしました。

Long, 2011/10/15 10:51 PM

>通りすがりさん

>歌謡曲の歌詞は歌手が「演じて」いるのがよいと思うのです。
上記の引用文以下の段落に書かれておられることについては概ね同意します。着想こそ自分の実体験であったとしても、そこから発展させて一般化、抽象化されていないと途端につまらない歌詞になる、ということですよね。

松本隆はすごい人ですよね。「木綿のハンカチーフ」みたいな歌謡曲から、「硝子の少年」(KinKi Kids)や「星間飛行」(ランカ・リー=中島愛)など我々若者に訴えかけられる歌詞も書ける(私の父よりも年上だというのに…)というのは驚きです。

アラフォー(男)です。, 2013/02/05 12:51 PM

この歌は作者自身を“美化”していないし、まして自分の恥を赤裸々に告げ、祖母を大事にできなかった悔やみと責め立てた後悔の念「どうしてだろう、人は人を傷つけ・・」の歌詞に集約され、聴く者に訴えかけています。

紅白に出場するまでに情報番組ではよく「トイレの神様」は取り上げられ、それまで部分的にしか聞いておらず、「子供向けか?」くらいにしか印象或いは批判的ですらあったが、紅白きっかけにフルであらためて聴き、今では「よくぞフルで歌った」と賞賛の気持ちに変わった自分が居ます。なぜなら短縮の度合いによっては、子供だまし的な「トイレを磨こう」奨励歌になりかねないから。

無理に、自責や感傷に浸る必要はありませんが、自分が孫を持っておかしくない年齢に達した時にでも、祖父母の思いやりや大変さが解ればそれで良いのでは、と思います。

Long, 2013/02/05 8:17 PM

>アラフォー(男)です。さん

別に私は曲そのものを批判したいわけじゃないのですよ。
万人の共感を得られるものではないこの曲をゴリ押ししたメディアの姿勢を批判したかっただけなのです。

>無理に、自責や感傷に浸る必要はありませんが、自分が孫を持っておかしくない年齢に達した時にでも、祖父母の思いやりや大変さが解ればそれで良いのでは、と思います。

何が言いたいのでしょうか。貴方の年齢でそれを言われても説得力ゼロです。

通行人A, 2013/02/14 4:05 PM

今更の書き込みすみません。
偶々通りがかり、あの当時抱えっぱなしだったイライラを発散したくなりました。

トイレというワードの意外性と祖母の死を安易に結びつけて泣ける曲としてゴリ押すあざとさ、浅薄さ、ナンセンスさ、Long氏と上のコメントで皆様が取り沙汰されている通り同意です。

自分が殊更言いたいのは、冒頭、歌い出しの
「小3の頃から鷆なぜだか鷆おばあちゃんと暮らしていた」
ここに尽きます。
作り手も、これを良い曲と受け止めている受け手も、ここで「なぜだか」をチョイスする言語感覚にアラートを発しない時点で、日本語力がどこか明後日向いちゃってる気がします。
詩としての抽象性に欠けるとか、ただの作文だとかいう批評以前の問題で、日本語センスとか日本語力の問題で踏みとどまってればまだいいんだけど、根本的な「因果関係を頭で理解する能力」なんかが欠如してる可能性が高い。

つまりこの曲の作りて受け手に「なんでこの曲がダメか」の説明すら、理解させられない。
「バカにモノを説く時のイライラ」をこの曲と、この曲を取り巻く環境が潜在的に内包しちゃってると思います。

でもバカに何言っても無駄じゃないですか?
だから本当はこの曲が商品として世に出る前に周りの大人が何とかして「ツッコミどころのないように」パッケージしなきゃならなかったはずだ、と思います。


長文駄文失礼しました。

Long, 2013/02/16 12:17 PM

>通行人Aさん

「なぜだか」の違和感は私も今回ご指摘を受けるまで気がつきませんでした。確かに言われてみると違和感しか感じません。

「実家の隣だったけど」を受けての「なぜだか」である、と擁護することは可能なんですけども、だったら「なぜだか」を使わないか、文字数増やしてでも詳しく説明するかのどちらかにしないと誤解を招きますよね。

なんとなく、歌詞全体が練れていないように感じていたのですけど、今回のご指摘で、作詞している側の言語感覚がちょっと鈍いからこうなってるんじゃないか、と認識を新たにしました。

あり, 2015/06/16 5:31 PM

私もこの歌嫌いです。

「世界の中心で」を「感動!の物語」
と表現する事に対する嫌悪感くらい苦手。

多分、100歩譲って本人たちが
出来事を綴った日記のような話だから
不整合があったり、本人たちもよくわかってないやりとりがあり、「あれはこういう意味だったんじゃ?」と勝手に解釈してる部分があるとしましょう。

それを、提供された受け手が「自分の想像力の範囲内で勝手に思った事」を「あれは多分こんな雰囲気の事を言ってる気がする!感動!」と早合点して押し付けている感じが嫌なんだと思います。

また、別のブログに書いてあった事なのですが
「私は植村かなほど悪ガキではなかった」ので、「おいふざけんな」「何美談に仕立てようとしてんだ、そうじゃないだろ」という気持ち悪さやモヤモヤが残ってしまうんです。

個人的に「俺は昔悪だった」みたいな話が嫌いですし、私はそういう人に「改善の前に一回目でワルに走るその判断力が信用できない」と思ってしまうのですが、そういうのが気にならない人はこの歌好きそうだなと思います。
私はこの主人公影響受けたくねーなと思うので嫌いです。避けられたバッドエンドを自己憐憫と陶酔で聞かされてる感じがして「こいつ未だにこの程度の理解力なのか」と、改めて子どもの時に察しが悪いダメな人って変わらないんだなと絶望してしまうから。

あり, 2015/06/16 7:25 PM

また、トイレの神様が好きな人は
嫌いになる理由についても思慮が浅く

>「ただ、こころの奥底では感動し&#173;ているのに、それを正直に表現できないヒトは可哀相そうだと思う&#173;。」

この程度の想像力じゃないですか。

トイレの神様に限った事ではないですが、違和感のあるものを平気で発表する人、広める人、受け取って騒ぐ人に、カルト集団のような話の通じなさを感じて、そこに狂気を見出してしまいます。

なので歌の内容を聞けば聞くほど、嫌悪感と不快感と違和感が積み重なっていきます。

Long, 2015/06/16 7:37 PM

ありさん、コメントありがとうございます。

「昔はワルだったけど今は更生してちゃんとやってます」が美談にされてしまうのは確かに違和感ありますよね。マジメなだけでぱっとしなかった学生時代のやっかみでそういうこといってんだろ、って言われたら別に否定はしませんが、それにしたって「昔はワルだった」を美談にしていいわけではないですし。

たろう, 2015/12/16 4:20 PM

私も 「トイレの神様」は 大嫌いな 曲です 。 これは 詞 とは 呼べない 作文ですね。 作文 フォーク です。 音楽性も 皆無 ですし、 こんなの 聞く 価値は ありませんね










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